??三寶繪??六波羅蜜說話の構成
About the Adverbial Functions of Japanese Onomatopoeia
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Abstract
佛敎說話集三寶繪は永觀二年(984)源爲憲が尊子內親王のために著した作品である。三寶繪の影響は今昔物語集をはじめとする多くの說話集に及んだ。說話文學史に占める本作品の位置は大きい。 三寶繪は佛寶․法寶․僧寶という三寶の觀點から菩薩道を追求し、菩薩(修行者)の修行に焦點を當てている。この點については從來、尊子內親王の佛道修行を手助けるための佛敎入門書という、あまりにも單純、かつ短絡的に理解してきたように思われる。そこで本稿は、三寶繪の上卷の前半部に位置する六波羅蜜(六度)説話の構成に焦点を當て、六波羅蜜に託した作者爲憲の構想の一端を分析することによって三寶繪の読みを深めてみることにする。 三寶繪の出発が六波羅蜜説話であるだけに、それを正しく理解しなくては三寶繪の読みを深められないだろう。しかしこれに関する研究はほとんど成されていないようである。三寶繪はなぜ六波羅蜜説話から始めているか、著者爲憲は六波羅蜜をどのように認識しているのか、本稿ではこれらの疑問を明らかにすることに主たる目的をおいた。それを展開するに、まず六波羅蜜について調べて見たうえで、三寶繪の六波羅蜜説話の構成とその認識を探ってみた。 檢討してみた結果、三寶繪の六度認識は諸経論における修行段階を意識する六度認識と同じ線上にあることことがわかった。ただ、大智度論や四教義等、天台宗系資料に比べ言わば修行階位がかなり意識されていた。たぶんその原因としては、三寶繪上卷の構成において「如来の六度万行」(上卷の讚)といういわば修行段階における架空的な時間の流れを強く意識したことに求められた。 三寶繪は概して言えば、六度を的確に捉えている。三寶繪の六度通有の説話配列は何の意味無しでただそれに従ったのではない。もともと六度は修行段階を意識したものではあるが、三寶繪の六度説話は求道者に六度を説明する立場に立ってそれを再確認する作業であった。 三寶繪の著者為憲は菩薩行の実践という観点に基づいて読者内親王に「仏に成る道」としてまず「六度万行」を思い浮かべた。つまり、それは「六度万行」の説話展開であり、三寶繪が六波羅蜜說話から始めている理由なのである。
참고문헌 (1)
- "諸本對照三寶繪集成" (1981)
