본문 바로가기
KERD
논문KCI 등재

일본 사가현의 임란포로에 관한 연구

0

조회

0

다운로드

4

인용

0

참고문헌

키워드

주제분류일본어와문학

초록

本稿は壬亂と丁酉の倭亂によって日本軍に捕虜となり、海を渡って佐賀県に定着した非陶工の人々を中心に考察したことである。彼らは主に唐津と佐賀そして武雄という地域に多く住んでいた。唐津の場合、唐人町という所で木棉と香を製造する朝鮮人たちが多く住んでおり、また高德寺では捕虜の刷還するために朝鮮禮曹から送った諭告文が保管されていたことが分った。そして佐賀市では 知識階層の朝鮮捕虜も多かった。その代表的な人物としては林榮久, 李九山の一族などが挙げられる。林榮久は藩主から信任を受けた醫師であった。彼は藩主が死ぬと殉死したいと思ったが達成できず、自分の子供にそれを願った。その結果、彼の次男はそれを實踐した。自分の仕えていた主君が死んだ際、殉死する朝鮮人は、ただ林氏一族だけではない。鍋島勝茂が死ぬと、その家臣たちが次から次へ殉死した。そうすると今度はその家臣の家来が殉死することが起きた。大野吉兵衛の家来であった朝鮮人淨眞と太左衛門の夫婦の自殺は、まさにそれに属する殉死はであった。その一方、佐賀の産業に大きく貢献した朝鮮人捕虜もいた。製藥と更紗技術を開發した李九山をはじめ無名の行李工, 飴工, 織工たちがそれである。そのほか槙忠左衛門という少年捕虜もいた。多久には養父母に殺された朝鮮少年捕虜の話しがあった。この話しは才能のある少年捕虜だったらその才能を高く評価し自分の養子にすることもあったあるが、万が一その才能が自分たちに威脅になると、早速除去してしまう人間の冷酷さがある。このように佐賀県の朝鮮捕虜たちは社會的に安定された生活をするためには武士になった捕虜は、切腹殉死するほど主君への忠と義を守り、一般人たちは獨特の專門的な技術と特徵を持っていなければならなかった。これは日本での朝鮮捕虜の社會的な地位がいかに不安定であったかをよく示されていると見なされる。

참고문헌 (35)

  1. 강홍중, "동사록 in : 고전국역총서 해행총재(3)", pp.265~ (1989), 민족문화추진회
  2. 김옥희, "임란때 납치된 조선여성들의 일본에서의 순교와 신앙생활", 사학연구, (36), pp.117~133 (1985)
  3. 김태준, "고려의 자손들과 임란의 도자문화 in : 임진난과 조선문화의 동점", pp.51~119 (1977), 한국연구원
  4. 노성환, "일본 사가시에 남은 임진과 정유왜란", 日本語敎育, (46), pp.273~293 (2008), 한국일본어교육학회
  5. 服部英雄, "前近代日本のチャイナタウン. コリアンタウン", 바다와 인문학의 만남, 동북아세아, 동아시아일본학회 연합국제학술대회프로시딩, pp.5~6 (2008), 동북아세아문화학회
  6. 민덕기, "임진왜란 중의 납치된 조선인 문제 in : 임진왜란과 한일관계", pp.395~ (2005), 경인문화사
  7. 신일철, "일본 도자기의 시조 in : 일본문화의 뿌리 한국", pp.26~36 (1986), 상서각
  8. 최관, "일본과 임진왜란", pp.31~ (2003), 고려대학교 출판부
  9. "홍종필(1992. 6. 19)「제약기술-의약의 두 명인」『임란 400년 한민족혼 일본서 숨쉰다』", ~
  10. 米谷均, "사로잡힌 조선인들 -전후 조선인 포로 송환에 대하여- in : 임진왜란 동아시아 삼국전쟁", pp.97~101 (2007), 휴머니스트
  11. 服部英雄, "前近代日本のチャイナタウン. コリアンタウン", 바다와 인문학의 만남, 동북아세아, 동아시아일본학회 연합 국제학술대회 프로시딩, pp.7~ (2008), 동북아세아문화학회
  12. 阿部桂司, "更紗と李九山", 季刊 三千里, (17), pp.199~ (1979), 三千里社
  13. 李進熙, "小西行長 in : 文祿, 慶長の役", pp.138~ (1993), 學硏
  14. 大石學, "近世日本社會の朝鮮人藩士", 日本歷史, (9), pp.83~84 (2001), 吉川弘文館
  15. 大石學, "近世日本社會の朝鮮人", 日本歷史, 12, pp.92~95 (2002), 吉川弘文館
  16. 大石學, "近世日本における朝鮮人", 日本歷史, 9, pp.72~77 (2005), 吉川弘文館
  17. 大園弘, "鍋島更紗雜記 -九山道淸と同時代の人々 in : 鍋島更紗. 段通展 日本の更紗. 世界の更紗. 段通をたずねて", pp.105~ (1977), 佐賀縣立博物館
  18. 木部和昭, "萩藩における朝鮮人捕虜と武士社會", 歷史評論, (593), pp.47~59 (1999)
  19. 栗原耕吾, "葉隱にみる朝鮮人. 林榮久父子のこと", 葉隠研究, (48), pp.41~ (2002), 葉隱硏究會
  20. 內藤雋輔, "文祿慶長役における被虜人の硏究", pp.736~737 (1976), 東京大出版部
  21. 中島浩氣, "肥前陶磁史考" (1985), 青潮社
  22. 中里紀元, "肥前の朝鮮陶工 in : 佐賀の歷史と民俗", pp.233~ (2002), 福岡博先生古稀記念誌
  23. 小宮陸之, "洪浩然と佐賀縣 in : 佐賀縣立名護屋城博物館硏究紀要(2)", pp.77~ (1996)
  24. 佐賀縣立博物館, "九山家. 江口家. 江頭家 家系圖 in : 鍋島更紗. 段通展 日本の更紗. 世界の更紗. 段通をたずねて", pp.116~ (1977), 佐賀縣立博物館
  25. 志波深雪, "多久に伝わる韓國少年の傳說", 葉隠研究, (48), pp.25~26 (2002), 葉隱硏究會
  26. 鄭光, "薩摩苗代川伝来の朝鮮歌謡", pp.3~157 (1990), 中村印刷株式会社
  27. 鈴田滋人, "鍋島更紗. 口傳の謎", 葉隱硏究, 48, pp.31~ (2002), 葉隱硏究會
  28. 富岡行昌, "唐津城下の唐人町 in : 佐賀縣大百科事典", pp.589~ (1983), 佐賀縣大百科事典編輯委員會
  29. 鶴園裕, "日本近世初期における渡來朝鮮人の硏究 -加賀藩を中心に-" (1990), 科學硏究 費補助金硏究成果報告書
  30. 寺崎宗俊, "肥前名護屋城の人人", pp.222~ (1993), 佐賀新聞社
  31. 三好不二雄, "佐賀の儒者 洪浩然", 葉隱硏究, (48), pp.23~ (2002), 葉隱硏究會
  32. 山本常朝, "葉隱(上)", pp.245~246 (1983), 敎育社
  33. 山本常朝, "葉隱(中)", pp.158~159 (1983), 敎育社
  34. 山本常朝, "葉隱(下)", pp.62~63 (1983), 敎育社
  35. 尹達世, "四百年の長い道", pp.164~165 (2003), リーブル出版

관련 논문AI추천

이 간행물의 다른 논문 (14건)