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通信使の行列と行列記 ―朝鮮像の変遷―

March and publication of Korean diplomatic corps-Change in a Korean image-

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주제분류일본어와문학

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江戸時代の朝鮮通信使をめぐる通俗板本である行列記に検討するにあたり、まず、通信使と対馬島主宗氏の行列の規模を、天和二年の場合を例に、史料によって具体的に検討した。宗氏一行は荷物持ち人夫も含め、対馬から1800人ほどが同行、通信使側は信使一行474人の他に、馬子や人足などが常時1,374人ほど同行しており、総勢3,000人以上の人々が江戸迄往復していた。通信使行列の見物には、礼を失わないように種々規制はあったが、見物自体は幕府からむしろ奨励されており、江戸市中では、座敷、二階からの見物も許され、ある時期には、物干しから見ることも許されていた。通信使の通り筋の両側には桟敷席が臨時に造られ、そこからも見物したが、幕府は禁じてはいるものの、屋根の上に登って見物する者もおり、男女僧尼同席し、酒食し、高声高笑指差しなどし、挙げ句の果ては、通信使一行が威儀を正して進む道の傍らで、喧嘩口論酔狂にまで及んでいたというのが実態である。対馬では6尺ほどの高さの石垣の上に登って見物する者もいた。通信使行列を題材とした行列記の類は、天和二年と文化八年を除けば、ほとんどが通信使到着前に刊行されており、行列見物の際の案内書のような性格を持っている。京の菊屋七郎兵衛刊行の書は神功皇后を出すなど朝貢使としての色彩がややみられたが、求板本と思われる『朝鮮人来朝義式』などには朝鮮賛美の傾向が見られる。江戸本願寺前の辻村五兵衛刊行の行列記では「貢をさヽぐる韓客」と朝貢であることを標榜している。行列記を標榜してはいないが、実質は行列記を含み、朝鮮に関する往来物を収めている『宝暦新刻大船用文』には通信使と朝貢がを結びつけられている。文化八年『朝鮮人来朝行列之記』では「今年対州乃地に來伏なしぬ」と朝貢という意識がより鮮明となり、『神功皇后三韓平治往来』に至っては、神功皇后や、神国日本が強調されるに至る。既に、芸能では、正徳五年に『神功皇后三韓退治蘆分船』が初演され、享保四年には紀海音『神功皇后三韓責』が初演されたほか、太閤の朝鮮征伐を含む浄瑠璃『太閤記』も元禄十一年以降には演じられている。行列記が、正徳元年には朝鮮を賛美する内容もあったのに、後に、専ら、朝貢使として描くようになったのは、行列記の出板書肆が主導した結果なのではなく、神功皇后の三韓征伐伝承に材を得た芸能などを背景に、世の風潮を受け、読者に受け入れやすいように記述内容を変えていったのであろう。

참고문헌 (15)

  1. 朴賛基, "江戸時代の朝鮮通信使と日本文学" (2006), 臨川書店
  2. 加藤康子, "朝鮮人行烈", 叢, (8) (1985)
  3. 辛基秀他, "大系朝鮮通信使, 全八巻" (1993), 明石書店
  4. 田代和生, "朝鮮通信使行列絵巻の研究-正徳元年(1711)の絵巻仕立てを中心に", 朝鮮学報, 137, pp.1~46 (1990)
  5. 横山学, "江戸期琉球物資料集覧" (1981), 本邦書籍株式会社
  6. 横山学, "琉球国使節渡来の研究" (1987), 吉川弘文館
  7. ロナルド・トビ, "近世日本の国家形成と外交" (1991), 創文社
  8. ロナルド・トビ, "『鎖国』という外交. in: 全集日本の歴史" (2008), 小学館
  9. 箕輪吉次, "「朝鮮人来朝義式」について", 日語日文学研究, 62(1), pp.181~207 (2007)
  10. 箕輪吉次, "天和二(1682)年通信使使行の実態", 日語日文学研究, 64(2), pp.305~330 (2008)
  11. 大韓民国国史編纂委員会, "『信使来聘ニ付従公義被仰出候義并相伺候始終覚書』、『信使来聘ニ付従公義被仰出候義并相伺候始終覚書』", ~
  12. 慶應義塾大学付属図書館, "『壬戌信使記録三十四京都道中江戸入供廻行列』(但し、ゆまに書房作成のマイクロフィルムによる。)", ~
  13. "天和韓聘記", 日本国立公文書館
  14. "朝鮮国通信使参府之記", 日本国立国会図書館
  15. "朝鮮通信使行列図", 東京都立中央図書館

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