連歌式目の変化に関する一考察 -二條良基からへ宗祇へ-
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連歌の初期段階の完成者と言われる二條良基の『僻連抄』と、連歌の全盛期の完成者と言われる宗祇の『宗祇袖下』という連歌論書を分析することによって二條良基から宗祇への100年余りの間に式目がどのように変化したのかを回数の制限を規定した一座一句物、一座二句物、一座三句物、一座四句物を中心に考察してみたが、その分析結果を整理すると次のようである。①一座一句物の場合は、両書ともに挙げている例は、万葉以来古今和歌集から新古今時代に至るまで和歌の世界でもよく歌われた素材に限って、両書ともに一座一句物として強く規制をしたことがわかった。また植物の場合は、『僻連抄』では万葉以来、相変わらず和歌の代表的な素材である<若菜、梅、藤、やまぶき>を一座一句物として規制していたが、『宗祇袖下』ではかえって<ふかみ草、桧原、若草、橘、女郎花、萩、薄>などのような連歌でよく使われていた素材の中から規制していることがわかった。動物の場合は、『僻連抄』では、動物の種類が少なかったが、『宗祇袖下』になると、種類もかなり増えているし、特に鳥類の場合はかなり細かく分類をして規制をかけていることがわかる。宗祇時代の連歌を見ると鳥類を詠み込んだ例が頻繁に出てくることからこういう規制をかけるしかなかった理由を伺うことが出来る。 ②一座二句物の場合は、『僻連抄』の時代から『宗祇袖下』の時代のかけてかなり式目が変化していることがわかった。そして、両書ともに重ならない例が多いということは、各時代別にかなり個性あふれる表現が新しく現れたことを暗示してくれる。これは連歌という文芸が伝統を大事にしながらも連歌の座のおいてはかなり新鮮な表現を取り上げていたことを端的に言ってくれる現象である。それから、両書ともに重ならない例の場合は、例によって、『僻連抄』の時代より『宗祇袖下』の時代の方が規制が強い場合と、緩い場合が共存しているということがわかった。③一座三句物の場合は、全体的に『僻連抄』の時代より『宗祇袖下』時代の方が規制が非常に緩くなっていたことがわかった。その理由としては、『僻連抄』の時代は和歌的な表現の名残が多かったから規制をしたが、連歌全盛期である『宗祇袖下』時代になると和歌的な表現をあまり使わなくなったので、無理して強く規制する必要がなかったところに理由があるということがわかった。④一座四句物の場合は、全体的に『僻連抄』の時代に比べて『宗祇袖下』の時代の方が規制の対象がかなり増えていることがわかった。特に<つつ留>のように句の留め方をもって規制するというのはとても興味深い例である。それから、両書ともに重ならない例の場合は、例によって、『僻連抄』の時代より『宗祇袖下』の時代の方が規制が強い場合と、緩い場合が共存しているということがわかった。
참고문헌 (18)
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