平安時代の歌語「あま」に見る神仏習合 –『斎宮女御集』の「あまのすむさと」を中心に–
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초록
本研究の発端は伝統的歌語としての「あま」の使い方とは異なる「あま」の歌を徽子女王の周辺の歌から見つけたことにあった。よって、神道においては忌み詞である「あま」が、斎宮としての人生を送り、歌人として有名な人の歌もしくはその家集の中では、伝統的歌語としての役割を越える使い方として現れていることを紹介しようとした。これにより、宗教的ㆍ思想的神仏習合が、和歌の世界にどのように受け入れられていたのかを説明するとともに、この宗教観によって掛詞としての「あま」の領域が広がりを見せる平安時代の和歌の特質を探ってみた。斎宮女御とその娘の規子内親王は仏教信仰の行き渡っている時代的潮流の中で、斎王としての人生を送ることになる。そして、斎王であるが故に伊勢に籠もってしまうという状況を俗世を離れる「尼」と同一化した。したがって、斎王としては忌み詞でもある「尼」を「海人ㆍ海女」に重ね合わせて表現するに至った。それまでなかった表現方式である。万葉風の「あま」とも平安時代の恋歌の「あま」とも異なる性質の詠み方が生まれてくるのである。当時、歌語「あまのすみか」および「あま小舟」は世を捨てる貴人の身を置く場所という表現として使われていくようになっていた。そのような時代的な要求が斎王なる身分の人によっても受け入れられたという事実こそが神仏習合の一面ではなかろうか。斎王として仏教思想に近づけない抑圧がかえって仏教への強い願望を産み出したのであろう。それで仏教という時代の風潮に合わせるがごとく、「海人」を「尼」として歌った。そもそも尼とは正反対側の斎王なる者が「尼」をほのめかす「あま」を詠むこと自体がその時代の神仏習合的属性を現わしていると言える。本地垂迹や護法善神などの概念的神仏習合以外の、歌における自己認識までに及んだ神仏習合の影響を確認できるのである。
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