『센자이슈(千載集)』戀歌의〈他者〉 -「人」와 「君」를 중심으로-
A Study on the Love-song in Senzaisyu -Focusing on 'Hito' and 'Kimi'
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Abstract
勅撰集の基本的な部立は四季歌と恋歌であり、それらは季節や感情の変化などを時間の推移により配列してゆくことを基本的原理と捉えている。四季歌と恋歌の対象はそれぞれ自然と人間であり、とくに恋歌においては特定の対人関係があって成立するのが普通である。本稿では、『千載集』恋歌において様々な位相の恋人を表す他者、とくに「人」と「君」という呼称を中心に、それぞれがどのような語彙を伴って用いられているかを探ってみた。 まず、「人」と「君」は各巻にそれぞれ、恋一に5例․5例、恋二に7例․1例、恋三に1例․5例、恋四に2例․7例、恋五に7例․7例など、あわせて22例と25例を見せている。この用例数の分布から次のような事実が読みとれよう。まず、各各の他者規定は必ずしも各巻に均分化して用いられているのではなく、ある巻に集中して用いられている例が見られる。「人」の場合は恋二や恋五に、「君」のほうは恋四と恋五に集中している。そしてまた、各巻に用いられた恋愛対象の種類が巻によって一様ではなく、恋二では「人」のほうが、恋四では「君」が多く用いられていることがわかる。 さらに、各々の他者規定が伴う歌語が異なっている。「人」という語は、「つれなし」「立ち帰る」「いにき」「忘る」などを伴い、それらの歌から恋愛主体の対象に対する理性的対象認識が読みとれる。一方、「君」の場合は、「恋ふ」「思ふ」「(君ゆえ)ものを思ふ」「(君に)心はつくす」などの述語を伴い、恋愛主体の認識の対象が主体自身であり、自己認識に向かう求心的歌となっていることが知られる。 このように二つの他者規定は志向する世界の相違により、それぞれが用いられる歌に異なる趣を漂わせるのである。したがって、恋五に収められている、 931 つらしとて恨むるかたぞなかりける憂きをいとふは君ひとりかは (祐盛法師) 932 思ひ知る心のなきをなげくかな憂き身ゆへこそ人もつらけれ (藤原隆親) のような、酷似した二首が隣り合って配列されることができたと考えられる。それとともに、主情生を第一に考え、抒情性に中心をおいた藤原俊成の編纂方針によるものであったといえよう。
참고문헌 (10)
- "千載和歌集の基礎的硏究"
- "王朝文學の表現形成" (1995), 新典社
- "歌ことばの歷史" (1998), 笠間書院
- "古代和歌史論", 東京大學出版會 1990
- "古今和歌集表現論" (2000), 笠間書院
- "王朝和歌と史的展開" (1997), 笠間書院
- "中世和歌とその周"
- "和歌文學會編 和歌文學講座 第4卷 万葉集と勅撰和歌集"
- "和歌文學論集編集委員會編 王朝後期の和歌"
- "古代的象徵表現の硏究─古代的自然把握と序詞の機能─" (1996), 風間書房
