일본 근세의 의미 -통일권력자의 동아시아 국제사회 편입노력을 중심으로-
The Meaning of Modern Age in Japanese History -Focusing on the endeavor of the power men who unified the nation to join East-Asian International Society
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儒教制度を採択した朝鮮及び中国大陸では戦乱を未然に防ぐため、好色と武力、神話、呪術的要素を抑制,抹殺し、士農工商のうち、工商を蔑視するような価値観を維持してきたと判断される。中国の歴代の王朝は自国の平和を守るため外交政策として朝貢や冊封政策を採り、邊方国の平和維持にも格別な管理をし続けた.朝貢と冊封政策は実は邊方国の支配者tたちに多大な利益を与え、その権力の維持をも支持してあげるシステムであった。そのような利益もあったので、中国を中心とした支配者達のネットワークはほぼ二千年間も続き、東アジア大陸の平和維持に至大な貢献を果たしたと評価できよう。 日本は地政学的に東アジア大陸から海で隔てられていて、独自の発展が可能であった。儒教理念を採択していなかったので、支配者達は本能的な武力と好色、神話・呪術的な要素を散々利用して統治してきた。しかしそのような本能的な要素は弱肉強食の風潮を産み、その終着駅は戦乱であった。そのため日本もやはり武家社会に突入し戦乱に明け暮れた。しかし日本の統一権力者の場合は、東アジア国際社会の動向に強く関心を注いでいた。室町時代にも中国や朝鮮とも外交関係を結んでいたが、倭冦の被害が朝鮮や中国にまで及び、国際的な信用を失ってしまった。戦国時代の混乱を武力で終息し、遂に統一政権を完成した豊臣秀吉は検知と兵農分離、身分制等を急遽実施したが、それは東アジア国際社会で行われていた中央集権制度を真似て試行したものであると判断される。朝鮮や東アジアの平和を真似て日本に移植しようとする意地は徳川幕府に入ってから一層強くなり、対馬藩主の偽書や国書の書換え等の危険な冒険を通じてやっと朝鮮通信使の招請が実現できた。中国との国交が完全に単絶させられたこともあって、朝鮮以外の国とは鎖国に踏み切り、内政にも朝鮮の助言を受け入れて朱子学的な改革に励んだ。江戸幕府がこのように朱子学を統治理念として受け入れた第一の目的は、戦乱を終息するためであったと判断される。そのお陰で江戸時代は平和が定着し、江戸幕府は二百六十年間も政権を保つことができた。その意味で、日本の歴史における近世の意味は格別であったと言ってよかろう。 しかし長い間本能と弱肉強食の法則によって明け暮れていた日本人に朱子学的思惟や制度は合わなかった。儒学者達が先に朱子学の基本精神を否定し、それを援用して国学が成立し、栄えるようになった。済改革に成功した雄藩の支配者達がこのような国学者の理論を理念に掲げて倒幕に成功し、明治維新の立役者になってから儒教は投げ捨てられた。儒教から解放した日本人は近代産業化時代に活気を帯びるようになり、脱亜入欧を唱えた福沢諭吉の見識は今も高く評価されている。
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