女性の文学としての『源氏物語』 -男主人公へのまなざし-
Genjimonogatari as women's literature
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『源氏物語』は、光源氏を「主人公」とする枠組みを持って出発した。しかしながら、藤裏葉以後の巻々をも含めた『源氏物語』全体を、単純に光源氏を「主人公」とする˝光源氏の物語〟とし、そのあとをうけた薫を「主人公」とする˝薫の物語〟としてしまうことは出来ない。『源氏物語』の研究史においても、例えば玉上琢彌は、『源氏物語』について、「女についての、女によって作られた、女のための物語である」「『源氏物語』は女の世界の物語」「光る源氏なる男性をめぐる女性たちの物語」であると主張した。またはやく芳賀矢一は、明治29年2月発行の『帝国文学』第二巻第二に「霓裳子」という筆名で掲載した論説「源氏物語宇治十帖を読む(下)」において、宇治十帖の主人公は女性であり、薫等はそれを語るための「動機」、˝装置〟にすぎない、主題は女性の側にあるという見解を示している。 超越的な人物、極度に理想化された人物として登場した光源氏へのまなざしも若菜上巻以後、批判的な色彩を強めてくるのだが、光源氏没後の巻々の枠組みの中心に据えられる、鎌倉時代初期の『無名草子』以来理想的な人物として称揚される向きもある薫は、光源氏の場合よりもさらにきびしいまなざしを、語り手と登場人物としての女性たちと、そしてその向こうにいる作者と、その眼を通して「男主人公」を見る読者たちから、向けられるようになる。そして最後には「男主人公」が「主人公」であることさえ不確かに見えてくる。そのさきの物語を語ろうとするならば最初から物語の枠組みを「女性を主人公とする物語」として据え直さなければならないところまで、『源氏物語』が来ていたことがあらためて確認されよう。その意味で『源氏物語』は、その示した方向をも含めて「女性の物語」と言うべきなのかもしれない。『源氏物語』における「男主人公」へのまなざしは、その方向性を示している。
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