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北村透谷と朝鮮
Kitamura Toukoku and Chosun
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주제분류일본어와문학
초록
Abstract
北村透谷が死去したのは明治27年(1894)である。彼の死後110余年間、透谷と朝鮮との関係は殆んど研究対象として扱われていなかったらしい。実際、透谷の活躍した明治20年代は朝鮮を挟んで、日本、清国、ロシアが北東アジアの覇権を掌握するために互いに競い合っていた時期であった。それで、日本国内のある事件は日本に限らず、しばしば隣国の朝鮮、清国、ロシアにまでその波及が響き渡った。たとえば甲申政変、大阪事件、征韓論などがそれに當たる。従って、透谷の触れている日本国内の事件への評価には彼の朝鮮観が何らかの形で潜んでいると思われる。 透谷の家系を調べてみると遠祖が百濟の琳聖太子であること。また、透谷の生まれ育ちの小田原唐人町が朝鮮系渡来人と深く関わり合っており、そこの「朝鮮寺」には透谷の祖父母の位牌が祭られていること。それに、透谷が福沢諭吉などの征韓論を批判したことなどを総合的に調べてみると、そこには透谷と朝鮮との何らかの縁が見られよう。ただし、透谷が残した文献には朝鮮へのものが極く少ない。これは透谷に限らず、ほとんどの明治文学者も隣国の朝鮮についてはあまり触れていない状態である。それで、朝鮮に関する資料の不足が本研究の一つの弱点になると思う。これを乗り越えるために今後、多年間の刻苦の努力が要求される。
참고문헌 (5)
- "自由民?運動の地下水を汲むもの" (1982)
- 大?根章介, "日本中央大? ?文??だより" (1991)
- 司馬遼太?, "故?忘じがたく侯" (1968)
- 二宮啓任, "防長の琳聖太子??", 27 (1971)
- 二宮啓任, "防長の琳聖太子??", 27 (1971)
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