논문KCI 등재
다자이 오사무의 『여시아문(如是我聞)』에 나타난 작가의식 고찰
A Study of The Author’s Consciousness in Dazai Osamu’s “Yosiamun”
1
조회
0
다운로드
0
인용
0
참고문헌
키워드
주제분류일본어와문학
초록
『如是我聞』は外国文学者、文壇の先輩、志賀直哉らの「老作家」、秩序と体制に安住する「文化人」らに向けた批判が主をなしている。特に、太宰の自分の存在の根源に対する熱望と苦悩が内在している。素材的な側面から見れば、彼は作家としての使命意識を持ち、「洋行談」ではない周辺にいる隣人の話を作品化することを主張している。太宰はこれを「隣人愛」というキリスト教的素材を利用して中心文壇の作家を批判している。これは作家意識を表わすための道具として成句が引用されたことによって反語的役割をしている。この文章は自身を批判した対象に対する太宰の攻撃的な文章だ。ここには荒々しい言語と嘲弄などの文章戦略が窺える。これを通して見ると、「隣人愛」も攻撃的な文章の修辞的戦略と考えることができる。このように逆説による抵抗と批判は太宰の作家的主体性を表わす手段であり、作家としての使命を認識させる過程だということがわかる。したがって、自身の存在を発見してアイデンティティを確立していく姿は、まさに太宰のアイデンティティの究明過程と見ることができる。ひいては、国家的アイデンティティ、すなわち日本の将来についても悩んだ「存在探し」の過程と理解することができる。
참고문헌 (17)
- 이부순, "『한국전후소설과 전도적 상상력』", pp.226~ (2005), 새미
- "太宰治 全集4" (1982), 筑摩書房
- "太宰治 全集8" (1982), 筑摩書房
- "太宰治 全集9" (1982), 筑摩書房
- "太宰治 全集10" (1982), 筑摩書房
- 安藤宏, "太宰治全作品硏究事典", pp.216~ (1995), 勉誠社
- 久保田輝男, "太宰治「如是我聞」をめぐって-志賀直哉と太宰治", 同朋文学, (29), pp.79~110 (1999)
- 佐藤泰正, "弱者の倫理- 如是我聞を中心に(太宰治論)", pp.148~153 (1976), 國文學
- 関谷一郎, "如是我聞", 国文学解釈と鑑賞, 64(9), pp.137~143 (1999)
- 相馬正一, "志賀直哉と太宰治-「如是我聞」と「和解」", 国文学解釈と鑑賞, 68(8), pp.76~82 (2003)
- 野平健一, "志賀直哉と「如是我聞」", 新潮, 95(7), pp.58~66 (1998)
- 田中良彦, "太宰治と聖書知識", pp.87~ (1994), 朝文社
- 津島美知子, "回想の太宰治", pp.159~ (1978), 人文書院
- 東鄕克美, "太宰治事典", pp.148~ (1995), 學燈社
- 長谷川泉, "如是我聞", 国文学解釈と鑑賞, 48(9), pp.102~109 (1983)
- 山下明, "太宰文学の総決算としての「如是我聞」", 文学と教育, (102), pp.27~35 (1977)
- 吉岡真緒, "太宰治「如是我聞」論-接続点としての「私」", 太宰治スタディーズの会, 90~100 (2008)
관련 논문AI추천
太宰治『人間失格』論 -疎外者「葉蔵」の<隣人>-이지현한국일어일문학회 · 일어일문학연구2015 · 제93권 제2호다자이 오사무(太宰治)문예 고찰 -기독교 양심을 외친 작품을 중심으로-최순육한국일어일문학회 · 일어일문학연구2021 · 제119권 太宰治:「疎外された者」と「隣人愛」 - 『惜別』を中心として -이지현일본어문학회 · 일본어문학2018 · 제83호다자이 오사무 문학의 몸과 주체에 관한 고찰신현선한국일어일문학회 · 일어일문학연구2014 · 제88권 제2호일본근현대문학속의 기독교적 묘사고찰-다자이 오사무(太宰治)와 성서를 중심으로-최순육한국일본언어문화학회 · 일본언어문화2017 · 제39호다자이 오사무의 異界形 문학에 관한 고찰정부용일본어문학회 · 일본어문학2010 · 제51호
