가모사이인(賀茂齋院)과 와카(和歌)
賀茂斎院と和歌ー斎院選子、子、式子を中心に
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本稿では、賀茂齋院に関する先行研究を取り入れつつ、斎院がどのような背景に発生し、どのように平安時代社会の中心的文芸集団として自立していったか、考察してみた。論議を進めるにあって、賀茂齋院の起原と発生について概観し、選子内親王, 禖子内親王, 式子内親王の齋院時代を中心にその和歌活動と成果を調べてみた。先ず、五十七年という長期間にわたって賀茂齋院の地位についていた選子は、当時の摂関実権側と血縁でつながり、安定した位置で大斎院という別号に相応する気風を築くことができた。側近の女房などが詠み交わした和歌を集成した『大斎院前の御集』と『大斎院御集』からは、単調な齋院生活ながら地理的利点をいかして宮廷の貴顕たちとも交流し、情趣のある文化空間に上昇した実相が確かめられる。一條朝に皇后定子の後宮、中宮彰子の後宮が対抗する一方では、大齋院選子の文芸サロンが活躍し、その業績は特記してよいと思う。次に、ややもすれば閉鎖的で自己満足の域にととどまるがちの齋院を、「みやび」を具現する空間として高めた禖子の齋院について調べてみた。基本的に神域の斎院は潔齋生活をせねばならなかったが、厳かな公的生活の裏面では積極的に集団的文芸活動を行っていた。すなわち、禖子斎院は物語を作り、その内容を題詠にした歌合や、王朝の美意識が現れた多様な行事を頻繁に開催して、優雅な世界を繰り広げたようだ。そういった成果は、『源氏物語』などの平安時代の文学が内容的にも形式的にも進歩する一つの動機を与えたといっていいだろう。最後に、式子斎院は幼時から少女時代まで10年間賀茂齋院に仕えたが、その時期は院政をめぐって公武激しく対立しはじめた変動期に当たる。最愛の近親たちと次々に悲劇的な死別を余儀なくされる間、無常という観念が切に感じられたであろうが、それを克服し、開放的で情熱的な歌風で独自の美の世界を表現している。時代と個人的な不遇を、驚異的な詠歌に昇華した式子に『新古今集』時代の最高女性歌人という賛辞は過不足のない評価だと思われる。 以上のように三人の齋院たちは公的には神職につく特別な身分であったが、一層文学に熱を入れ、ある意味では特殊な文芸集団をリードしていったのである。王朝文学の傍流の水準にとどまらないで、逆に齋院側が折々に当代の文学世界へ刺激を与え、独自性のある文化圏を形成していった意義は認めるべきであろう。11世紀末に院政が布かれるに伴って摂関政治が衰退しはじめ、齋院の存在感も希薄になり、とうとう制度としての斎院は消滅するようになった。それにもかかわらず、齋院制度が摂関政治の庇護のもとに、宮廷後宮と鼎立した形で成長していき、日本文学史に著しく寄与した史実は十分評価せねばならない。
참고문헌 (13)
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- 所京子, "齋王の歴史と文学" (2003), 風間書院
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