국토창생신화와 천손강림신화의 배경 -『日本書紀』 임나관계 기사의 구조와 해석을 중심으로-
國土創生神話と天孫降臨神話の背景-『日本書紀』の任那關係記事の構造と解釋を中心に-
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초록
拙稿では、イザナミとイザナギとの二神の結合を語る神話は、大和政権と伽倻との国家連合により、日本の各地が形成(渡來、定着、開拓)していく模様が比定されているという構想を提示した。さらに、降臨する天孫というのは、百濟の聖明王が日本の欽明天皇に降臨したというような、隠された歴史が比定されていると判断される。本稿では、『日本書紀』の任那關係記事の分析を行うことにより,,拙稿での論述の基盤をさらに固めていくことを目指している。 任那關係記事の分析の際に閃いた着想は, 天地開闢→ 國土創生(國生み 神生み)→天石屋戸→中つ国平定,→国ゆずり→ 天孫降臨等の順で進行する, 記紀共通の神代史の話素は, 元々は任那を舞台にして起った事件が比定されていたのではないかということである。特に天石屋戸の話素は、任那割讓、及び任那復興會議の前後の混亂や危機が比定されていると見受けられた。但し、任那の土地を新羅にゆずり、その代わり、国家建設の物資を仕入れたというふうな話素は、8世紀初め頃成立した神話の論調とは合わないものであったろう。それで削除され、現在のような日本国内の権力の淘汰と鎮魂を語るような形に変移したものと見受けられる。 このように、聖明王の代に一次的に百済の王権が日本進出があり、それによりはじめて世襲制の統一王朝の基盤が固められたのである。その後、百済が完全に滅んでしまった663年以降に、『日本書紀』の成立を見るようになった。そういうわけで今は存在しない百済の歴史の一部を、大和王朝の歴史に書き換えなければならなかったはずである。即ち、百濟が主体となった伽倻及び大和政権との交涉史を,大和政権が主体となった百濟と伽倻との交涉史に書き換える際に、百濟と伽倻とを藩國視したはずであろう。さらに、彼らにとって一番憎悪の対象であった新羅をいち早く倭國の屬國に形象化しなければならなかったと判断される。そしてこのような形象化は, 倭國が6,世紀に百濟と新羅とに伽倻の土地を讓り、そのかわり物資(任那調)を受け入れた事実が、そのような歴史叙述の原動力となり、結局、神功皇后の三韓征伐からその由来を求めるような緣起說話談で、その結実を見るようになったと判断される。国内的にも王朝交代の名分を満たすために、アマテラス=卑弥呼の象徴である神功皇后が住吉大神に助けられて三韓を征伐したという虚構談でもって、百済との関係を結び始めた河内王朝の歴史を聖化しなければならなかったと判断される。 しかし、実際の任那の成立は、4世紀の百濟の伽倻7七ヶ国平定及び5世紀管理の歴史から求められるのであり、日本の國土創生神話、即ち国生みは、5世紀に行われた伽倻諸国の日本移住の歴史からその根元が求められると見受けられる。さらに以上の歴史が認められてこそ、6世紀の前半の『日本書紀』の記録のうち、膨大な記事量を占めている任那割譲や任那復興, さらに6, 7世紀の任那調の叙述が何を意味しているのか、説明できるようになると判断される。
참고문헌 (10)
- 日本書紀, "日本古典文學大系" (1967), 岩波書店
- 岡田精司, "日本神話研究2 in : 国生み神話について" (1977), 学生社
- 岡田精司, "岩波講座 日本歴史2 in : 記紀神話の成立" (1975), 古代2
- 山尾幸久, "日本國家の形成" (1977), 岩波新書
- 山尾幸久, "古代の日朝関係" (1989), 塙書房
- 山尾幸久, "共同研究 日本と朝鮮の古代史 in : 日本書紀の中の朝鮮" (1979), 三省堂選書
- 上田正昭, "日本神話" (1970), 岩波新書
- 김현구, "일본서기 한국관계기사 연구" (2002), 일지사
- 이용현, "한국 고대사 속의 가야 in : 가야의 대외관계" (2001), 도서출판 혜안
- 김태식, "한국고대사 속의 가야 in : 초기가야연맹체의 성립과 발전" (2001), 혜안
