中世日本社會における高麗との關係
The historical Relationship between Japan and Korea
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Abstract
韓日関係の比較研究は数多いが歴史学、特に中世日本といわれる時期における日本と朝鮮半島との関係は古代史研究に比してもかなり少ない。その原因は論証を示す史料の少なさに相俟って両国における研究者の少なさにも起因しているといわれている。 韓日2000年以上と言われる歴史的関係を領野とした先行研究の成果 は、対象とする時代がどうしても近現代に集中してしまう結果となっ た。今後、韓国と日本の関係がますます緊密になろう事は容易に想像できるが、本研究の論旨は、未だ解明されてない日本と高麗王朝の関係を探究することである。これこそが両国における相互理解の深化を深める一助を担う事となろうと考えるからである。然るに朝鮮半島における高麗時代と一口に言っても10世紀から14世紀に跨り、実に470年間の渡る長大な期間を指すのであったが、その間にも有力な地方豪族の反亂と武人政権への転換、契丹、モンゴル、女真をはじめ度重なる外冦からの重圧に苦しめられた時代ではあった。しかしアジア的いや世界史的視野を以ってしても、この時期に470年あまりの統一国家が維持された例は珍しく稀有な例と言わねばならない。では一方日本ははどうであった か。日本ではこの高麗時代にかかる時代区分として改めて考えてみれば平安時代、鎌倉時代、室町時代と、めまぐるしく体制と政権交代が行なわれた時代である。この時代を便宜上、日本の中世と呼称する事としたい。 この後にもさらに戦国時代まで群雄割拠の時代が続くのであるが、ヨーロッパ史で言うところのルネッサンス期を包括した中世という特徴づけとは、地方勢力の分裂と統合という意味では共通するものの、通史としての日本史を考えた場合、天皇との関係を介して語られているので日本の中世はヨーロッパの中世とは区別して考えた方がよいだろう。 さてその日本の中世であるが、この時の日本の内政事情に目を向ければ西日本を中心に中央政権も流転と安定を交互に繰り返した渦中にあった時期であり、また関東でも武士集団による政治勢力が勃興した時代と位置づけられ、付け加えて言うならば、日本の通史的視野で豊臣秀吉の全国統一以降に続く一丸となった近世的国家連帯が生まれた時期と比較しても、そもそもこの時代に中央政権というものが国内的にも国外的(対外的)にもどの程度機能し、本研究の根幹ともなる外国との対外関係を築く上での国家としての交渉相手に日本がなりえたかどうかの性格づけもかなり曖昧になってきてしまうのである。このような混沌とした時代研究だからこそ両国の関係史料を紐解くことは重要である。宣和奉使高麗図経善隣国宝記といった文献をベースに両地域の交渉関係についてまとめてみた。
참고문헌 (10)
- "中世海外交涉史の硏究" (1959)
- "中世對外關係史" (1975), *94 復刻版
- "九州の中世社會" (1994)
- "元寇-蒙古帝國の內部事情-" (1965)
- "朝鮮中世社會史の硏究" (1972)
- "日宋貿易の硏究" (1948)
- "續日宋貿易の硏究" (1975)
- "續日宋貿易の硏究" (1975)
- "高麗朝史と朝鮮朝史" (1996), 吉川弘文館
- "中世の海人と東アジア" (1994)
