東アジア海域史にみる日本と高麗
The historical Relationship between Japan and Korea
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Abstract
日本と高麗の歴史的関係を紐解けば、高麗側の外交努力があったにも関わらずついぞ国交は開かれなかったとされるのが、一般的な理解であるようだ。しかし、文献史学ばかりでなく考古学、言語学といった各方面の学界においても、日本と高麗の関係を示すリソースが90年代になっても提示されている。本論考でも日本と高麗の関係について人や物の往来記録を辿ることによってその実像に迫ってみたいと思う。近年と言わず古来より日本列島と朝鮮半島の関係は広い分野にわたって両国が互いに興味․関心を抱きつつも、親交と離反を繰り返しながら、その関係を深めてきたと言ってよい。しかしながら韓日関係の比較研究は数多いが歴史学、特に中世日本といわれる時期における日本と朝鮮半島との関係は古代史研究に比してもかなり少ないのが現状である。 原因は論証を示す史料の少なさが第一の原因であり、それに相俟って両国における研究者の少なさにも起因しているといわれている。そこで未だ解明されていない時代研究として日本と高麗の関係を探究することが両国の相互理解を深め、関係史という学問分野自体の深化を図ることができればというのが研究動機であるのだが、さて日本と東アジア諸地域の関係の中でも高麗(918年~1392年)との関係という地域的限定を設けた場合には、その時代だけを眺めてみても、アジア全体の動向としては中国や朝鮮半島或いは東北アジアの勢力バランスの変化に伴い、その交渉相手国と日本との関係が連綿と続いてきたわけではない。大陸では王朝交替に伴う激動たる時代的変化を繰り返していたわけであり、日本国内の極めて地域的な政治的内部事情の変化とも相俟って、さらには元冦、倭冦といった敵対的関係も生じてくる。その一方で日本の対外姿勢の変容についても、日本国内の政治的内部事情ばかりにその原因を求める事はできず、常に大陸の情勢に呼応する形で外交姿勢に変化が見られる一方で、逆に日本側の外交姿勢は激動の時代に翻弄されるばかりでなく、ある一貫した政策をとってきたとも言える。地勢的に島国であった事は他の東アジア諸国の地勢に比して防衛的にも有利であった事もその一因であろう。また日本と高麗の関係は一般には国交断絶期と位置付けられているが、正確には極地域的な交流期と空白期の繰り返しが行なわれていたが不明な部分も多々存在しているわけである。従って本論稿では、その前後の時代における日本と東アジアとの情勢を副次的に取り扱いながらかかる時代の再検討を試みたいと思う。
참고문헌 (11)
- "中世海外交涉史の硏究" (1959)
- "中世對外關係史" (1975), *94 復刻版
- "九州の中世社會" (1994)
- "元寇-蒙古帝國の內部事情-" (1965)
- "朝鮮中世社會史の硏究" (1972)
- "中世日本の流通と對外關係" (1994)
- "日宋貿易の硏究" (1948)
- "續日宋貿易の硏究" (1975)
- "續日宋貿易の硏究" (1975)
- "高麗朝史と朝鮮朝史" (1996)
- "中世の海人と東アジア" (1994)
