일본측 사료로 본 9세기의 한일관계- 신라인 来着기사를 중심으로 -
Korea-Japan Relationship in the 9th Century from Japanese Historical Records
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日本側の史料にみられる新羅人(新羅商人)の記事を整理し分析してみ た。その内容を要約すると次のようである。 表1, 2, 3に整理したとおり、9世紀の日本列島に渡ってきた新羅(新羅商人)は、記録に残された人員だけでもその数は1400人余りである。もちろんこれらのなかには唐で活躍した在唐新羅人も含まれているのだが、上記の表でもわかるように、史料の半分には人員の数が記録されてないことから、その数は正確にわからない。しかしながら史料に散見できるその人員に加え、記録に残されなかったが訪日した新羅人及び新羅商人等の数を含めると、少なくとも数千人余りの新羅人(新羅商人)等が日本列島に渡ってきたことは間違い無いであろ う。当時の船の便が現在のようなものではなかったことを考慮すると、その数は極めて大きな意味を持のである。海に囲まれている日本列島の地理的な条件にも関わらず、このように数多くの新羅人(新羅商人)等が海上を行き來してきたことは、彼らの往來を可能にした船の便が兩国間に定期的なかたちで運航されていたことを語っているからである。 また次に注目すべき点としては、彼ら新羅人のなかには商人がかなり存在していたであろうと窺がえる事実がある。8世紀の中葉以後、九州の大宰府では海洋貿易を仲介とした商業圏が形成されていた。その商圏を維持した人々こそ新羅商人であったのである。こうしてすでに820年代には、彼らの活動によって本格的に稼動する‘環中国海貿易圏’が存在したのであるが、その舞台に介在した多くの者は張宝皐の勢力下で活動した海上商人たちであった。 しかし841年に張宝皐の死後、彼らの海上勢力は大きく萎縮されてしまった。特に韓半島の南部の清海鎮を根拠にした新羅の海上勢力はほとんど潰滅的状態にまで落いってしまったのである。後にやっと在唐新羅人たちが日本列島を往來しながら唐物を持ってきたり, 日本の僧侶を唐に移送したりする役割を担ったのは840年代から850年代にかけてであった。 さらに860年代の以後になると、唐商人が本格的に日本列島に台頭するようになる中で、日本支配層は一方の新羅商人に対しては弾圧を加えるようになる。869年の新羅人海賊事件をきっかけとして新羅商人は遠く離れた東国地方に移す政策を執るのである。そして約100余年にかけて形成された新羅人の海上ルートはその機能をはたし終え、新羅人の海上交通の衰退と終焉を迎えると同時に日本の海上貿易は、徐々に中国を中心とした海上ルートに変遷していくのである。
참고문헌 (4)
- "일본 지배층의 대신라관 정책 변화의 고찰:주로 9세기를 중심으로", 51집 (1996), 대구사학회
- "일본 지배층의 대신라관 정책 변화의 고찰:주로 9세기를 중심으로", 51집 (1996), 대구사학회
- "9세기 초기의 환시나해무역권의 고찰", 15 (1995)
- "구세기 후반에 발생한 신라인모반사건의 재검토", 37집 (1996), 한국일본학회
