李恢成文學におけるサハリンの風景
Scenery of Sakhalin was Expressed in Likaisei's Literary Works
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Abstract
在日朝鮮人文学に関する論文には多かれ少なかれ必ず民族性の問題が出てくるのはなぜなのか。それは在日朝鮮人文学は民族性を切離しては論じられないからである。民族性は在日朝鮮人文学の生命であり、その存在の理由、根拠でもある。この理由、根拠を失なったら在日朝鮮人文学の全体が崩れてしまうのは言うまでもない。在日朝鮮人の書いたものだとしてもそこに民族性がまったくないなら在日朝鮮人文学とは言い切れないのはそのためである。これは在日朝鮮人文学の研究者らがいつも民族性の問題に焦点を合わせて研究を進める理由であり、私がこの論文で再びその問題にふれる理由でもある。本論では、日本の朝鮮植民地支配の最北端でもあり、風景でもあるサハリンと在日朝鮮人作家―李恢成の関係を検討することで、サハリンが李恢成の民族文学にどのような影響を與えてきたのかを具体的に調べることにする。 李恢成においてサハリンとはさまざまな意味を持っている場所であるが、その中でも日本の朝鮮植民地支配の原風景、或いは植民地朝鮮の縮図としての意味が何より深い。李恢成の作品の中でサハリンが常に日本の朝鮮植民地支配の風景として、負の価値、闇の影を見せてきたのは、まさにそこに植民地朝鮮民族の悲劇があり、支配者としての日本帝国の罪があるからではなかろうか。李恢成にとってサハリンは、彼に生命を與えてくれた故郷でもあるが、民族に目を醒めさせてくれた場所でもある。一人の朝鮮人として日本の植民地支配の最北端―サハリンを自分の故郷にする李恢成の悲劇こそが植民地支配に置かれた朝鮮民族全体の悲劇ではなかろうか。作家李恢成の民族性はまさにその民族と個人の悲劇の狭間から生み出された。
참고문헌 (1)
- "砧をうつ女と着物" (1997), 同時代社
