江戶時代の朝鮮通信使と日本文學
The Korean Delegations to Japan and Japanese Literature
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Abstract
日本の江戸時代において朝鮮と日本の国交は、1592年豊臣秀吉の朝鮮侵略によって中断されたがその後対馬島の宗氏の尽力により、1607年回复することができた。最初の1607年の朝鮮通信使の訪日は徳川家康より朝鮮国王宛てに送られた国書に対する答書を持參した回答使及び二次にわたる倭乱中朝鮮人俘虜の帰還を目的とする刷還使でもあった。 以後、朝鮮使節の訪日は12回行われたのであり、その間には様々な事件及び両国の文化芸能、詩文贈答等の交流の状態を見ることができるが、それが近現代文学作品と成立したのは森鴎外の歴史小説「佐橋甚五郎」 (1913)を始め、中野光風の「唐人殺し」(1984)、片野次雄の徳川吉宗と朝鮮通信使(1985)、藤沢周平の市塵(1991)、賈島憲治の雨森芳洲の涙(1997)等がある。 また、近世期に成立した作品としては1711年朝鮮使節の製述官李東郭を怪談の語り手として登場させ、怪談を展開した落月堂操巵の怪談乗合船(1713年刊)、近藤清信画の読本浄瑠璃朝鮮太平記(1713年刊)、 1764年の朝鮮使節の訪日を当込んで描かれたと思われる黒本朝鮮人行 烈(1764年刊?)等があり、1764年大阪で発生した崔天宗殺害事件を脚色した所謂「唐人殺し」と呼ばれる一連の作品群等が挙げられる。ことに後者は事件に関する記錄とその事件の文芸化が多様な形で取入れられ、継承․変貌していった。 このように、十八世紀後半に起った朝鮮通信使の刺殺事件と浄瑠璃․歌舞伎化やまた実録写本、歴史小説との関係は韓․日両国の交流史を考える上で、一般民衆の意識にそったという点ではやや底辺的なものといえるかも知れないが、日本文学と日本文化に与えた影響は甚だ大きかったと言わざるをえない。 加えて、朝鮮通信使の訪日を通して日本の文人及び一般庶民との文化 的、学問的交流等が、近世期の徳川政権の文運興隆策に相俟って、自由 に、自然発生的に朝鮮通信使の旅先で行われたのであり、それは近世期の庶民レベルでの交流という面において、両国の文化史に大きく寄与したと言えるであろう。
참고문헌 (13)
- "唐人殺しの世界" (1999), 臨川書店.
- "朝鮮通信使の饗應" (2001), 明石書店
- "朝鮮通信使と壬辰倭亂" (2000), 明石書店.
- "朝鮮通信使と日本近世文學" (2001), 寶庫社
- "『演藝畵報』9의 10" (1913)
- "『近世文學論輯』 硏究叢書133 和泉書院" (1993)
- "鷗外『佐橋甚五郞』小考-遠藤周作と比較して" (1972)
- "鷗外『佐橋甚五郞』小考-遠藤周作と比較して" (1972)
- "朝鮮學士の日記 紀行文に見る朝鮮通信使の旅" (1998), 日本國文學硏究資料館
- "唐金梅所李東郭", (49) (1996)
- "雨森芳洲の淚" (1997), 風媒社
- "『和漢 丁蜜記』"
- "『和漢 丁蜜記』"
