『이세 모노가타리』의 동쪽지방 -‘아즈마쿠다리’를 중심으로-
『伊勢物語東下りの「あづま』
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초록
伊勢物語の主人公は京に住み憂い「あづま」に住むべき所を探して東下りを始める。本稿では、伊勢物語の7段から15段を中心に主人公が歩いた道を辿ってみた。從來伊勢物語東下りの硏究において「あづま」は「鄙」として輕視された。即ち、「あづま」それ自體の價値觀より「ひなび」として、都の美意識である「みやび」を强調する手段として利用された。伊勢物語の主人公が都の男を代表するわけではないが平安時代の理想的な人物像として見なされていたので、彼を通して「あづま」に対する認識が確認できる。武蔵国では恋物語もあるが、「あづま」に留まる都の男は一刻も都を忘れてないことを見逃してはならない。男にとって都は住み憂い場ではあるが忘れることのできるそんな空間ではなかった。都人の「みやび」はそこからはじまるからである。しかし本稿では「あづま」に焦點をあわせて、東下りの「あづま」を再照明した。東下りの「あづま」は、記紀の「あづま」・「東方十二道」と一致する。よって、「あづま」はこの範圍で把握できる。記紀を通して、「あづま」は捨てられた異國ではなく、天皇支配の擴大という槪念から王權の支配下に置くべき對象の地であったということを確認した。670年前後、東の行政區域を整備し國史を派遣して地方行政を任せていたことを思えば、「あづま」は當時ある程度開拓されていたとみえる。伊勢物語の主人公が「あづま」を選擇したのも東に派遣された知人もいたし、好奇心を刺激する何かがある人の住める場としてみなされていたからであろう。特に主人公が留まったと思える武蔵国には都からの人々が新たな世界を築いていた。武蔵国の人々にとって都はもはや絶對的價値觀の中心ではなかった。武蔵国、そして「あづま」はそれなりのもう一つの價値觀を確立していた。しかし、それは残念ながら「あづま」全域ではなく武蔵国のようなごく一部に限定されることを認めざる得ない。
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