使用上の基準における関与的成分と非関与的成分 - ナル型敬語とレル型敬語の混用實態を對象として -
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本稿では日本聖書協会刊行による新約聖書(新共同訳)の4福音書を言語資料として、ナル型敬語とレル型敬語が混用されている例の中から、「お出かけになる‧出かけられる」「お登りになる‧登られる」「お帰りになる‧帰られる」を対象に、これら尊敬語形式の使用実態の具体的な検討により、ナル型敬語とレル型敬語の使い分けに関わる使用上の基準について再度吟味した。その結果、該当尊敬語形式の決定に直接関わる関与的な成分と使用上の基準として見なされない非関与的な成分を区別した。本稿で考察した内容をまとめると、以下の通りである。[1] 「出かける」の尊敬語形式「お出かけになる」と「出かけられる」両者の使用上の基準をその関与の仕方から観察すると次の通りである。(1)と(2)では<神的イエス>と見なされる<イエス>の行為に対して「お出かけになる」が使われているが、(1)と(2)でナル型敬語を選択する上で関与する要因には多少の違いがある。(1)では改まり度の違いよりは<イエス>を<神的イエス>として表現するための敬意主体の把握の仕方に重点が置かれているのに対し、(2)では話体的要因が該当尊敬語形式を選択する上で直接的に関与している。一方、(1)では「イエスが[そこから]お出かけになると」のように動作の起点を表す成分が、(2)では「イエスは[~の村に]お出かけになった」のように動作の到達点を表す成分が明示されているが、これらの成分は尊敬語形式を選択する上で直接関与していない。[2] 「登る」の尊敬語の形式には「お登りになる」と「登られる」があるが、両者の使用上の基準をその関与の仕方から観察すると次の通りである。(4)では<イエス>を<神>と同格と見なしており<神的イエス>という行為主体の特性と地の文という文体的特徴そして莊重荘重さという話体的要因が使用上の基準として関与し<イエス>の行為に対してナル型「お登りになる」が使われている。これに対し(5)(6)(7)(8)では<人間イエス>という行為主体の特性と当該行為が個別的で具体的な事件という行為内容のカテゴリー的特徴、そして話体的要因が使用上の基準として関与し、<イエス>の行為に対してレル型敬語「登られる」が使われている。一方、(4)の「イエスは~[山に]お登りになった」と(5)(6)(7)(8)の「イエスは~、[山に]登られた」では「山に」のように移動の場所(到達点)を表す成分が明示されているが、前者ではナル型敬語が後者ではレル型敬語が使われているという点でこれらの成分は使用上の基準において非関与的であると考えられる。同様に(4)の「イエスは[祈るために]ひとり山にお登りになった」と(8)の「イエスは、~[祈るために]山に登られた」では「祈るために」という動作の目的を表す成分が使われているが、これも尊敬語形式の使用上の基準において非関与的なものと見なされる。[3] 「帰る」の尊敬語形式には「お帰りになる」と「帰られる」があるが、両者の使用上の基準をその関与の仕方から観察すると次の通りである。(9)と(10)では<人間イエス>という敬意主体の特性と地の文という文体的特徴と改まり度が高いという話体的要因が、又、(11)では<神的イエス>という敬意主体の特性と地の文という文体的特徴と改まり度が高いという話体的要因が認められ、これらの使用上の基準がナル型敬語を選択する上で直接関与している。(12)では<人間イエス>という行為主体の特性と地の文という文体的特徴そして話体的要因が使用上の基準として働き、レル型敬語が使われている。一方、移動の到達点に注目すると、(9)(10)の「故郷」のように規模が大きく抽象度の高いものに対してはナル型敬語を、これに対し(12)の「家」のように到達点が特定化され具体的なものに対してはレル型敬語を区別して適用したという解釈も成り立つ。このような観点で見ると、(9)の「故郷」と(10)の「家」は尊敬語形式を選択する上での関与的な成分として見なされる。(11)の「イエスは~、[ヨルダン川から]お帰りになった」のように移動の起点が、(13)の「イエスは~[ガリラヤに]帰られた」のように移動の到達点が明示されている場合があるが、これは尊敬語形式の選択において直接関与していない。同様に(11)の「聖霊に満ちて」と(13)の「霊の力に満ちて」のように移動の状況を表す修飾成分が使われた場合があるが、これもやはりナル型敬語とレル型敬語の選択においては非関与的である。
참고문헌 (14)
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- "聖書本文検索"[URL]
