橫光利一における芸術と文學そして小說
The meaning of Art, Literature & Fiction as a Yokomitsu Riichi’s personal term
0
조회
0
다운로드
0
인용
0
참고문헌
초록
Abstract
橫光利一(1898~1947年)の文學的生涯は、大まかに初期の新感覺派時代(1923~1930年)、中期の新心理主義時代(1930~1935年)、そして「純粹小說論」時代(1935年~)以降の三つに分けて考えることができる。橫光は、自分の新感覺派時代から新心理主義時代への轉換期を、<芸術>から<文學>を目指した時期だったと述べている。そして、新心理主義時代から「純粹小說論」時代へと至る時期に、芸術や文學とは異なる<小說>の意味について主張し始める。このような作家的態度のプロセスを明らかにすることは、おそらく彼自身の作家的本領を明らかにする上でも、また、その當時の文壇史的狀況を明らかにする上でも、非常に重要なポイントになると考えられる。そこで本稿では、大正末から昭和初頭にかけて日本の小說文壇の流れを主導してきた橫光利一の文學的軌跡を辿りながら、彼自身がそれぞれの時期に主張する<芸術>と<文學>そして<小說>とは一体何だったのかを探り、そのことを通して橫光利一という作家が目指したものが一体何だったのかについて議論した。本稿で議論した內容を簡略に要約してみると次のようである。 1)橫光の新感覺派時代は、國外的に第一次世界大戰をきっかけにして發生したあらゆるモダニズム芸術(アヴァンギャルドと呼ばれる前衛芸術のたぐい)からの影響と、國內的に關東大震災の衝擊によるあらゆる<美>的価値觀の破壞による精神史的危機の中で成立している。 2)橫光は、新感覺派時代に<芸術>と<象徵>或いは<芸術家>と<天才>の關係について、新心理主義時代に<文學>と<人間>の關係について、また、「純粹小說論」時代に<小說>と<自分=「自分を見る自分」>の關係について注目しており、これは、彼が新感覺派時代に主に三人称の作品を、新心理主義時代に主に一人称の作品を、また、「純粹小說論」時代に四人称の發明工夫を通した新しい「純粹小說」の創造を目指したことと深い關連がある。 3)彼の宣言した<芸術>から<文學>への轉換、及び<文學>から<小說>への移行は、西洋文學を積極的に受容しようとする態度から西洋文學を自覺的に変容していこうとする過程、そしてその受容と変容の段階を乘り越えた新しい日本文學の建設を目指すための一連の作家的態度表明のプロセスとして讀むことができる。
참고문헌 (13)
- "*橫光の文章についての典據は脚注を參照。"
- "第四卷、建設社.103頁" (1934)
- "第十六卷、新潮社.518、632頁" (1973)
- "第三十一卷、新潮社.304頁" (1982)
- "第三十二卷、新潮社.631頁" (1982)
- "橫光利一 -比較文學的硏究、南窓社" (1980)
- "橫光利一 -比較文化的硏究" (2000)
- "橫光利一論、文社出版.26、33頁" (1978)
- "フィクションの機構、ひつじ書房" (1994)
- "近代日本文學評論史、有精堂.66-67頁" (1958)
- "昭和文學私論、每日新聞社.11頁" (1977)
- "、比較文學第九卷、日本比較文學會" (1966)
- "、比較文學第十卷、日本比較文學會" (1967)
