橫光利一のメタ言語的表現世界
The Style of Metafiction in Yokomitsu-Riichi's Literature
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Abstract
橫光利一のメタ言語的表現世界 日本近代文學史のなかで、自然主義文學はリアリズム文學の典型として、また、新感覺派文學はモダニズム文學の典型として說明される。新感覺派文學を主導した橫光利一は、自然主義文學の標榜した伝統的リアリズムに眞っ向から反抗しつつ自分の文學世界を築き上げた作家である。一般に、リアリズム(リアリスト)とモダニズム(モダニスト)は相反する槪念として說明されており、そのためか、新感覺派文學を主導し代表的なモダニストとして文壇に登場した橫光利一をリアリストとしての側面から捉えた論考はあまり見られない。本稿では、そのような先行硏究の問題点を踏まえつつ、橫光利一という作家を、代表的なモダニストである以前に、典型的なリアリストであったと捉え、そのような、リアリストでありながらモダニストであるという特徵が、彼自身の表現世界のなかでどのように特徵づけられているのかについて探った。 まず、橫光自身の書いた樣々な文章を檢討しながら彼のリアリズム觀やモダニズム觀、或いは、理論と實踐をめぐる兩者の相關關係を確認し、そのような考え方が彼の作品世界にどのような形で生かされているのかについて、その連動關係を檢討した。本稿ではその連動關係の側面をメタ言語的表現世界の特徵として考察している。そのような特徵は橫光の書いた樣々な文章や作品の隨所に確認できるが、本稿では二つの例をあげて議論した。 一つは、「より多く光つた言葉」をめぐる表現の問題である。橫光は自分の新感覺派時代の表現世界を、「より多く光つた言葉」を追い求めた時代として說明している。このような觀点を視野に入れて彼の書いた實作を讀んでいくと、そこには何らかの「光」とかかわる表現(特に比喩や象徵表現)が實に多く驅使されていることに氣づく。注目すべきは、「より多く光つた言葉」をめぐる彼の考え方が、實際に作品のなかに使われている「光」という言葉と、作品全体の形式的側面にはもちろん、內容的側面にも深くかかわりつつ呼応している点である。その点、「光」という言葉は、橫光の創作世界のなかで、一つのメタ言語として機能していると捉えることができる。もう一つ、「噓」という言葉も、橫光の創作世界のなかで一つのメタ言語として機能しているように見える。自然主義文學の標榜した「眞實」を、欺瞞的な噓の文學であると規定した橫光は、自分の創作世界が常に意識的な「噓」の世界を目指していたことを公然と力說している。「光」という言葉の例と同じように、彼の小說には「噓」とかかわる表現がたいへん多く使われており、それは彼の目指しつづけた「噓」の小說と密接に連動していることが分かった。 この二つの言葉、「光」と「噓」という言葉の用例をあげるだけでも、橫光が自分の文學人生を通して、理論と實踐の間の連動關係をめぐる實驗にどれほど眞劍な姿勢で取り組み、また工夫し續けたのかが窺える。「光」という言葉は、「より多く光つた言葉」の小說をつくるためのメタ言語として、また、「噓」という言葉は、より眞實に近い「噓」の小說をつくるためのメタ言語として、それぞれ橫光の表現世界を特徵づけている。
참고문헌 (7)
- "定本橫光利一全集" (1982), 河出書房新社
- "川端康成全集 第三十二卷" (1982), 新潮社
- 神谷忠孝, "橫光利一論" (1978), 双文社出版
- デニス・キーン, "モダニスト橫光利一" (1982), 河出書房新社
- "國文學解釋と鑑賞 特集=橫光利一の再檢討" (1983), 至文堂
- "文芸 橫光利一讀本" (1955), 河出書房
- "文芸讀本 橫光利一" (1981), 河出書房新社
