江華学派と党派․党争 - 沈錥周辺の人物を中心に -
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초록
本稿は、沈錥の周辺人物を主たる考察対象として、江華学派と党派․党論の問題をさらに検証してみようとするものである. 沈錥は朱子学尊崇の立場を明示するとともに、陸王学に対しては一貫して否定的である. 尹淳は陽明学․霞谷学受容の痕跡をほとんどその文集にとどめていない. 李匡臣における陽明学理解も、朱王折衷的色彩の極めて強いものである. そのような中にあって注目に値するのは、李匡師․李令翊の父子であろう. この父子には陽明学信奉が家学として伝承された形迹が認められるからである. しかしながら李匡師の陽明学理解の内容を推測し得るのは李匡賛『論学輯略』(門中本)によってであって、その文集(『斗南集』『圓嶠集』)にはそもそも陽明学や霞谷学に関する言及がほとんど残されていない. また李忠翊は、初期には陽明学を信奉していたものの、後には朱子学に転じたと伝えられている. なお鄭斉斗の長子鄭厚一以降の志尹、述仁、文升、箕錫、啓燮と連なる鄭斉斗家後裔に関しても、残された資料に即して考察する限り、陽明学․霞谷学受容の顕著な形迹はほとんど見出すことができない. 沈錥を取り巻く何名かの人物について、その政治的․社会的立場を考察した. その上で、現存 『樗村遺稿』の資料価値の問題について、改めて考えてみたい. 『樗村遺稿』には父沈寿賢、母李氏(李万謙女)の為に執筆された沈錥撰述の「行状」「祭文」「墓誌銘」の類は全く収録されていない(父母に関する「遺事」はそれぞれ収録されている). また通常ならば文集編纂時に附録として収録されることの多い沈錥本人の「行状」「祭文」「墓誌銘」の類も、やはり全く収録されていない. これは少なからず不自然なことである. 父母や沈錥に関する伝記資料を掲載すれば、その中で、沈錥の二人の弟、即ち沈䥃と沈鉍、さらには沈鉍の養父たる沈維賢の存在にも触れざるを得ないことになる. 辛亥の獄における沈䥃の誅殺と沈鉍の貶謫とは沈錥没(英祖29年1753)の2年後の出来事であって、もとより沈錥自身のあずかり知る所ではない. しかし沈錥没後、その文集編纂の当時にあっては、沈䥃、沈鉍、沈維賢といった名前は、編纂に携わった人々(恐らくは沈錥の後裔もしくは門人)にとって、厳に禁忌すべき対象であったことは間違いのないところである. してみれば 『樗村遺稿』の編纂に当たっては、慎重な配慮と吟味のもとで、敢えて収録を見送られた資料、削除された資料が少なからず存在したであろうことが、容易に推測されるのである. 『樗村遺稿』(影印標点韓国文集叢刊、207~208冊、底本はソウル大学校奎章閣蔵本)は、李建芳家蔵本を1938年、朝鮮総督府中枢院において謄写した写本である. 書物の編纂時期は全く未詳ながら、『樗村遺稿』は朝鮮朝を通して門外不出の門中本として、秘かに伝承されていた様子がうかがわれるのである. 『樗村遺稿』を通して描かれる沈錥は純然たる朱子学者であり、陸王学には一貫して批判的立場であった. その点に関して、文集編纂者による意図的な資料操作(事実の隠蔽․糊塗․改竄等)が有ったと推測することに対して、私はあくまでも慎重な態度を保ちたいと考えている. ただ鄭斉斗の直弟子であり有力門人でもあった沈錥の文集の内容として、少なからず不自然であるという印象を抱いていることも又事実である. 因みに既に触れたように、辛亥獄に連座し貶謫された李匡師の『圓嶠集』や『斗南集』に陽明学や霞谷学に関する言及が殆ど見られず、李匡賛『論学輯略』を通してその学術的立場が初めて明らかになった. という事実は、こういった問題を考える上で極めて示唆的である. 本稿ではあくまでも検討の素材を提供するにとどめ、沈錥の思想的立場の解明に関してはなお、新資料の発見など、将来を待ちたいと考える.
참고문헌 (13)
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