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일본 야마구치의 조선계 도공에 관한 연구 - 후카와와 스사를 중심으로 -

A Study of Korean- Japanese potter in Yamaguchi Japan

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주제분류일본어와문학

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山口縣の深川と須佐にも朝鮮系の陶工たちがあった。長門の深川は李勺光系の朝鮮陶工と日本陶工たちが成し遂げた陶窯地で草創期には李勺光の子孫の山村家を始め蔵崎家, 赤川家, 坂倉家がいた。しかし山村家は連續的な不幸な事件に巻き込まれ途中で斷絶され、蔵崎家は出雲に移住し楽山焼を起すが子孫がいなくなり、自然に斷絶されてしまった。現在は赤川と坂倉系だけが残っている。赤川系は山村家の弟子で深川では一番古い陶工の家である。彼らは途中で武士の身分になるために田原と新庄という名字に変えるが、李勺光に習った技術を家業として今日まで継承している。そして坂蔵系では坂倉新兵衛, 坂田泥華、新家坂倉の窯がある。彼らは日本系であるが、歷史性と技術の傳統性を强調するために李勺光を始祖にしている特徵を見せている。特に深川の朝鮮陶工の末裔たちは他地域にも技術を傳播した。それが出雲、長府、徳島、岩国の御用窯である。藩の命により招聘されそこで直接製作するか、それとも深川に派遣されて来た人に傳受させることによって出来た窯であった。それに比べて須佐はあまり知られていない。そこに定着した朝鮮系の陶工には土谷家と坂本家がある。前者は壬辰倭亂以前に唐津から入った朝鮮陶工で, 後者は坂家の出身で益田家の要請で定着した朝鮮系陶工である。彼らは日本系の伊藤家、斎藤家と共に須佐の陶窯地を維持してきた。ところが近代に入り不況に襲われ殆んどの人々は家業をやめ現在は土谷家が唯一に命脈を維持している。このように山口県には萩以外にも深川と須佐という地域に朝鮮系の陶工たちが今も健在している。

참고문헌 (16)

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