1930년대 식민지 해항도시 부산의 일본인사회와 ‘죽음’의 폴리틱스
Death Politics of Japanese Community in Busan 1930s
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本稿では、1930年代の在釜山日本人社会の「死」を、主に火葬場と斎場、そして日本人共同墓地を中心に検討している。日本人社会の要求によって、1929年に釜山府主導で谷町日本人共同墓地に最新式火葬場と斎場が建設される。谷町は、朝鮮人労働者が集団的に居住する空間で、釜山府の一方的な火葬場の移転決定は、猛烈な住民の反対を招き、変更を余儀なくする。しかし、この過程の中で、葬式文化の違いから来る朝鮮人らの火葬への抵抗感は勿論、民族的な差別への抵抗へと発展していく「日常の抵抗」を垣間見ることができる。一方、植民地における日本人社会での集合的な「死」の処理は、内地=故郷の伝統によって形つけられることなく、むしろ内地=故郷への強力な回帰意識によって火葬選択が圧倒的となる。特に、こうした傾向は朝鮮人をして共同墓地=集葬地と火葬への誘導を求める総督府の「墓地政策」とも符合した。しかし、もっとも要求されるのは、遺骨の内地=故郷への移送ではなく、植民地での完結な処理であった。「死」の定着なくして真なる「生」の定着は期待し得ない。結局、このような認識は総督府でも提起されるに至る。このような総督府での議論が現実的に植民地海港都市釜山内の日本人社会の認識変化とどれほど連動していたのかは未だに実証しきれないものがある。しかし、1930年代を前後して朝鮮のほぼ大多数の大都市で近代的な設備の火葬場と斎場、そして日本人共同墓地の公園化が始まる。今後、釜山以外にも韓国内を含む東アジアの植民地海港都市を中心にそこに進出した日本人の「死」にいかなる政治文化的な価値が付与されたか、そして、それがまた植民地海港都市内の日本人社会の「生者」をどう規定したかという問題を続けて比較検討していく課題が残されている。
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