『懐風藻』の仏教事典論証に関する一考察 -仏教用語・仏教思想の浸透を中心に-
1 consideration about Buddhism encyclopedia demonstration “Kaifuso” -At a center of a Buddhist term and Buddhism thought-
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本稿は、『懐風藻』における仏教用語・仏教思想について考察し、仏教の影響がどのように見られるのかを具体的に分析して行こうとするのもである。仏教思想というのは掴みにくい論点ではあるが、用語と思想の両方から『懐風藻』に迫り、重ねて未詳の編者の様相を窺いたいという目的である。『懐風藻』(751年)は、『日本書紀』(720年)の編纂後に作られた抒情詩である。編者は未詳とされ諸説ある。その中の一人として編者と説かれる淡海三船は、「壬申の乱」の敗者となった大友皇子の子孫にあたり、幼少から出家し、後に「淡海真人」という姓を授かり、石上家嗣と共に「文人の首」と称されるほど漢学に通じ、「大学頭」の官位に就いたと伝えられている。幼少の頃から出家したならば、仏教、仏典を間近に感じ育った環境に浸り、自ずと仏教的思想に片寄っていたのではないかと考えられる。 初め「仏教」は、宗教というよりも教学・学問としての先端学術であったが、学僧たちが「衆」を作り、その思想の違いによって宗派を生み、漢学・仏典らの新しい受容により、国を動かす勢力にも繋がっていった。そしてその教養を持つ者が、主柱である天皇との結びつきが濃くなるため、例えば、推古天皇と聖徳太子の関係のように国家の仏教を牛耳る者が、日本の中心勢力となることが原因となり摩擦が起きることが常であった。分析は、主に『岩波仏教辞典』『広説仏教大辞典』で語彙を引き、仏典の時期・出自、語彙の意味などを調査した。その結果、「仏教文学」の定義の範疇に属した詩は、現存する116首中第一首に載る大友皇子と「釈門」である僧道慈が認めた二首のみであったが、淡海三船が残した『懐風藻』序文や伝序においては、内面的な仏教思想である釈迦の説く無常観の「帰納的受容」であると考察した。 『懐風藻』は、漢詩を詠んだ時期や編纂した時が違うが、全般的に漢詩には仏教の思想的観念は見えなかった。それは、仏教が思想的受容の到達にいたるまでに時間が必要だという証であると考える。そのため、淡海三船が編纂をした8世紀中期には、序文などにおいて仏教の浸透が現れた。
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