논문KCI 등재
소세키 후기소설 속의 과학과 미신
The Science and Superstition in the Soseki's Later Novels
0
조회
0
다운로드
0
인용
0
참고문헌
키워드
주제분류일본어와문학
초록
本研究は、「修善寺の大患」の後に書かれた漱石の小説の中での科学と迷信の形像について考察したものである。科学と迷信は漱石の文学世界を理解する重要なキーワードであるが、今までの研究は漱石の優れた科学観に集中しており、科学者が登場しない後期小説に対する言及は殆んど見られないからである。死を経験した漱石は人間の内面世界への関心が強くなり自分の中に「先祖の迷信」が潜んでいることに気付く。そしてこのような認識は作中人物の造形に活かされている。後期小説には明治時代に生まれ、合理的な思考に基づいた近代教育を受けた知識人が登場する。しかし『彼岸過迄』の敬太郎や『こゝろ』の私と先生などを見ると迷信から自由ではない。それは旧世代を代表する彼らの父母の影響があるからである。これは伝統的なものと近代的なものが衝突しながら共存する近代社会と似たような姿である。また、『行人』の一郎は科学の発展から来る不安に襲われ、『こゝろ』の先生は迷信に囚われ自分を含む人間に対する不信感を抱くようになる。科学と迷信は近代社会を生きていく人間の不安と不信を象徴的に表しており、夫婦で代表される人間関係においてずれを派生させる要因としての役割を果たす。漱石は科学と技術文明の発達によって人間が幸せになれるかについて絶えず悩んだ作家である。このような悩みが後期小説で科学(近代または外観)と迷信(伝統または内面)を通して歴々と現れているのである。
참고문헌 (13)
- 文丁振, "文明과 迷信 -淸末 新小說에 나타난 文明과 反迷信運動의 의미-", 中國現代文學, (21), pp.202~ (2001), 한국중국현대문학학회
- 신윤주, "공간 이동에 따른 「나(余)」의 미신 인식의 변화 고찰 ―나쓰메 소세키의 『유령의 소리(琴のそら音)』를 중심으로―", 일본근대학연구, (29), pp.211~225 (2010), 한국일본근대학회
- 윤혜영, "『문(門)』論 ―「不信」, 그리고「하나의 유기체」의 운명 ―", 일본문화연구, (26), pp.241~257 (2008), 동아시아일본학회
- 윤혜영, "『노방초(道草)』論 - 겐조(健三)의 과거를 중심으로 -", 일어일문학연구, 68(2), pp.191~207 (2009), 한국일어일문학회
- 윤혜영, "소세키 문학 속의 과학과 미신의 형상 -‘슈젠지의 대환(修善寺の大患)’ 이전의 작품을 중심으로-", 일본언어문화, (18), pp.593~608 (2011), 한국일본언어문화학회
- 一柳廣孝, "〈科学〉の行方 -漱石と心霊学をめぐって-", 文学, 4(3), pp.55~ (1993), 岩波書店
- 小森陽一, "漱石を読みなおす", pp.136~ (1995), ちくま新書
- 小谷野敦, "漱石を江戸から読む", pp.213~ (1995), 中公新書
- 十川信介, "近代日本文学案内", pp.244~ (2010), 岩波書店
- 仲秀和, ""彼岸過迄"側面-"迷信的な"人々-""漱石-"夢十夜"以後-", pp.103~ (2001), 和泉選書
- 半藤末利子, "漱石家の福猫", pp.17~ (2008), 新潮文庫
- 富士川游, "迷信の研究", pp.1~ (1932), 第一書房
- 分銅惇作, "健三("道草")", 国文学 解釈と教材の研究 特集 漱石文学の人間像, pp.72~ (1956), 学燈社
관련 논문AI추천
소세키 문학 속의 과학과 미신의 형상 -‘슈젠지의 대환(修善寺の大患)’ 이전의 작품을 중심으로-윤혜영한국일본언어문화학회 · 일본언어문화2011 · 제18호소세키 문학 속 재해윤혜영일본어문학회 · 일본어문학2024 · 제107호『마음』에 나타난 「先生」의 윤리성과 「私」의 위치김광수한국일본어교육학회 · 日本語敎育2014 · 제67호漱石末期の文学に現われた性と愛の葛藤と キリスト教的要素矢野尊義한국일본근대학회 · 일본근대학연구2017 · 제56호한·중·일 근현대문학에 나타난 미신(迷信) 비교 연구신윤주대한일어일문학회 · 일어일문학2014 · 제62호나쓰메 소세키의『행인(行人)』론 ―이치로의 정서적 세계와 지적 세계를 중심으로―김소희한국일본문화학회 · 日本文化學報2022 · 제92호
