한일 여류일기문학의 자기서사적 특징 ― 『한중록』과 『가게로닛키(蜻蛉日記)』의 허구의 죄의식을 중심으로 ―
A Study on the Self-narrative in the Women Diary Literature of HANJUNGROK and KAGERONIKKI
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초록
本稿の目的は、韓国と日本の自己敍事の代表作品である『恨中録』と『蜻蛉日記』のテキストに表われた自己敍事的特徴を把握することにある。先進文字だった漢文の代わりにハングルと仮名で表現し出した二つの作品は、明らかなジャンルが確立されていなかった当時としては破格の創作行為であったろう。後代のジャンルに対する概念定義は当然混乱した。今の多くの研究も二つの作品の文学性を糾明するのに多くの時間をかけている。本稿の目的も恵慶宮洪氏と道綱母、二人の作者のアイデンティティを比べ、自己敍事文学の核心的特徴である‘生の省察と意味追求の問題’を考察することにある。筆者の関心は二人の女性の罪がテキストでどのように表現されたかにある。二人の女性に賦与された罪は何だったのかを問い直してみる。数年間抑圧してきた罪の思いが自分のみの罪だったのか、誰からどのように与えられその苦痛からの解放が可能だったのか、二人の女性も絶えず自問したはずだ。夢見た王族や貴族としてのユートピアの具現が自分たちの罪の思いとどのように係わって省察され、獲得されたのかも考察してみようと思う。二人の女性の自己敍事を読む感動は、省察の苦痛の過程を乗り越え超越できるという人間の可能性を、現代を生きていく私たちにいまだにいきいきと伝えるものだからである。恵慶宮洪氏と道綱母は、男性主体の社会構造の内部においてのみ女の存在性が認められた時代の不幸な女性たちであった。その社会において女性が自分の意思を表現することは不可能に近かった。こういう状況で二人の女性の自己敍事ー不肖の罪人と宿世の罪人ーとしての省察は、自覚的な懺悔の罪の思いよりも超自我な虚構の罪の思いになる。『閑中録』と『蜻蛉日記』のテキストの例文では二人の女性の真の悔悟的な罪の思いを見いだすことができない。むしろ真の罪は沈黙で隠されている。家門と家族を守ろうとする自我が生き残るための手段として選んだ方法は、父という男性社会の実在の欲望を告白しないで黙る方法であった。二つのテキストの中で父という男性性を告発した所は一箇所もない。二人の女性の夫に対する真実の贖いは隠されたままで、その‘罪恨’はそっくり自己敍事の虚構の罪で残された。自己敍事の書き込みは男性性に対する逃げ場としての手段だったし、自己省察の残酷な過程であったろう。しかし自己敍事の超自我の虚構でも、夫に対する贖いから自立することがいかに難しかったかを、テキストを読む度に新たに感じる。二人の女性の臨終は恵慶宮洪氏80歳、道綱母60歳であった。
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