『가게로닉키(蜻蛉日記)』와 『한중록』의 ‘미(身)’와 ‘몸’의 자기서사성
A Study on the Selfidentity in the Women Diary Literature of KAGERONIKKI and HANJUNGROK
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本稿では平安朝と朝鮮朝の女流日記文学を代表する『蜻蛉日記』と『恨中録』のテキストに現れた‘み(身)'と‘モン'の用例を中心に二人の作者のアイデンティティの特徴を比べ、‘自己敍事文学’の核心的な特徴である‘自己の生の省察と意味追求'の問題の検討を試みた。女性が家父長制的規制の拘束を受けていた平安朝と朝鮮社会で彼女らが経験した内面の苦痛と困難な現実は男性のそれとはあまりにも異なっていたであろう。律法と封建制度下の伝統的な社会においては女性たちの生の抑圧となっていた一夫多妻制と三従之道の倫理が女性のアイデンティティを形成し生の目標を設定させた。後天的な隷属による個人的な不幸と苦痛の中で彼女らは自らの生をどう理解し規定したのか、自己をどのような存在だと認識していたのかを二つの王朝の‘女性自己敍事文学’の中で探してみた。彼女らが自己を表現し理解し最終的にいかに自己の生を救済するに至るかにおいてどのような共通点と違いがあるのかも検討した。道綱母と恵慶宮の自己のアイデンティティを‘身’と‘モン'の用例を中心に把握し、‘憂き身’と‘不肖のモン’に対する意識を検討することができた。家父長制的な存在として君臨した兼家の不真面目さと女性遍歴に起因する道綱母の非運の身はつらい身(憂き身)として上中下卷にわたり終始一貫して現われている。一方4代にわたった男性たちの権力に翻弄され生のアイデンティティを無くしてしまった恵慶宮は思悼世子に対する烈と、英祖と父親洪鳳漢に対する孝の間で生存のための‘不肖のモン’で一生を終えた。運命として担わされた罪悪感により死を選択する道だけが不肖の身から解放される唯一の方法であった。道綱母が兼家の存在をすべて無視し否定したときに初めてこの世の中に存在する価値のある自分を見つける。恵慶宮も4代のすべての男性が自分のそばを去ったときに初めて自分の生を自発的に省察することができた。969年‘憂き身'で筆を取って974年12月の記事までの6年余り、1795年‘不肖のモン'で筆を取って1805年71歳までの11年余り、自分のアイデンティティを省察し意味を探し出すまでにはこんなに長い苦悩の月日が必要であった。この意味で二つの作品は、自分の一生、あるいは限られた期間の生を前提として省察しその意味を追い求めるというジャンルにおける同質性と、自分だけの独特の生を書き綴った内容における異質性を同時に持ち合わせた‘自己敍事文学’の一つであるといえる。
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