『가게로닛키』에 그려진 미치쓰나 - 「幼き人」(어린 아들)의 표현을 중심으로 -
A study on the michitsuna is depicted in the [kagerounikki]
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『蜻蛉日記』は道綱母が描いた兼家との21年間にわたる結婚生活の記録である。そこには作者の不幸な結婚生活の真相以外に、二人の間で生まれた一人息子道綱の誕生から二十歳まで成長していく姿が描かれている。果たして, 道綱母は『蜻蛉日記』の中で一人息子道綱をどのように描いているのか。本稿は、『蜻蛉日記』に描かれている道綱について、特に、「故事談」や「続故事談」などに見られる道綱像ー上層貴族というよりも人間としての神経が一本ゆるんでいるところーを中巻において最も多く使われている「幼き人」の表現を通じて探ってみたものである。『蜻蛉日記』で道綱に対する特徴的呼称といえる「幼き人」の表現は道綱2才の時から17才の青年期まで15例が使われているが、兼家による一例を除けばすべて作者道綱母に呼ばれたものである。そして、「幼き人」の表現の用いられた場面には、父母の争いに巻き込まれ、二人の間に立って苦慮したり、単なる走り使いをさせられたりする道綱の姿が描かれており、ほとんど兼家がいる。内容的には、作者が兼家との関係がうまく行かず不安になったとき、「幼き人」を呼んで死にたい心情を語ったり、愚痴を漏らしたり、出家の意思を示したりする場合が多い。また、「幼き人」の表現が使われている場面を通じて、道綱はよく父兼家の邸宅を出入りしていたことがわかり、父親との関係は円満に維持していたかと思われる。特に、「幼き人」と呼ばれている場面で注目すべきことは泣いている道綱の姿である。父母の夫婦喧嘩の後、もう来るまいといって帰ってしまう兼家の一言に泣いたり、鳴滝の般若時で母を説得できなくて父に叱られた後、「泣きにも泣く」道綱。道綱は幼小期より父母の愛憎の渦中で「おどろおどろしく」「さくりもよよに」「ししと」泣いている。そして、その「幼き人」が泣く場面に母思いの道綱の姿が描かれているのも印象的である。いつの時代でも母親にとって子の存在は年が幾つになっても「幼き人」にすぎない。しかし、そのような母として子に対する憐憫の情を勘案しても道綱が元服した後も母親に「幼き人」と呼ばれているのは珍しく、そのような呼称からも道綱像が想像できる。『蜻蛉日記』に描かれている道綱は父兼家の政治家としての手腕や豪放な性格も窺われないし、道綱母の優れた文学的資質も見られない「幼き人」でけっして賢くは描かれていないが、母のために泣ける母思いのいい子であった。
참고문헌 (13)
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