『가게로닛키』의 죽음의식- 「死ぬ」의 표현을 중심으로
A Stydy on the Consciousness of Death of “Kageronikki”
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초록
『蜻蛉日記』 は、作者道綱母が藤原兼家との21年間にわたる結婚生活のありようを描いた日記文学作品である。『蜻蛉日記』 は、その主題上、明るい面の形容詞よりわりと暗い面の語彙が多く、その中で特に「死ぬ」の語は、同時代の他の女流日記作品には殆んど使われていない道綱母の表現の特徴といえる。本稿は、いくつかの死と他の女流日記作品にはめったに使われていない「死ぬ」の表現を中心に『蜻蛉日記』 の死の意識について考察したものである。道綱母がはじめて死を意識した時は、町の小路の女が登場してからであり、その後、母の死後、自分自身の病床、唐崎参籠と石山参籠の時においてである。特に、二度の参籠の時、深刻に死を意識しているが、その背景には、兼家の新邸に入れなかった絶望感と悲嘆によるものがあった。彼女は、「死の表現」を通じて、兼家との結婚生活からくる不満や不安定な立場を悲観し死を思うが、一人子道綱の将来のため、死にきれず、現実に戻る。これらの「死ぬ」の場面には道綱母の死の意識がかなり深刻に表現されているが、結局息子に対する責任や母性愛によって死には至らなかった。なお、道綱母は、いくつかの他者の死に触れているが、そこには死者に対する哀惜の情より残された遺族への憐憫の情が表現され、それはわが子に対する憐憫が彼女の死の意識に反映されているものと思われる。結論的に、彼女の「死ぬ」の表現」は、兼家との愛情にかかわる鬱憤と母の死による喪失感、兼家の妻としての不安定な身辺の挫折など、きわめて現実逃避的な傾向が強い。彼女はあくまで現実的な理由で死を意識し、現実的な理由で死にきれなかったのである。道綱母は、陰陽師の予告を受け、死ぬ日を待っていたが、予測通り死ななかった時、不幸な人こそ早く死なないという自ら不幸な女の人生を規定している。ここに死とは幸であり、死こそ煩悩の多い現実から逃れられる浄土であるという道綱母の死の意識が窺われる。彼女にとって生とは悩みの多い苦痛の世界であり、死とは、現実の煩悩から逃れられる自由の世界だったのである。このような彼女の死に対する意識は現実が不安であれば不安なほど、現実で解決できない不幸意識を来世に追求しようとするきわめて個人的な来世志向型の平安時代の浄土信仰の影響が見られる。道綱母は、現在の自分自信の人生を不幸なものと規定している上、長く生きていることは不幸な女の人生であり、幸せな女こそ早く死ぬという浄土信仰を受け入れ、自ら不幸な女の人生を演出していたのであろう。
참고문헌 (14)
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- 西木忠一, "死を思う道綱母ー 『蜻蛉日記』 におけるー", 文学研究 (1983), 日本文学研究会
