異郷の幻影と表現の革新:昭和作家の朝鮮と満州
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초록
本小論は、日本戦後文学が異郷や植民地をいかに形象してきたのかを、長谷川四郎(1909-87)、森敦(1912-1989)、小林勝(1927-1971)の三作家の作品を通して辿り、歴史的、文化的文脈と情緒的、感覚的な位相との狭間で、異郷体験がいかなる方法的革新に作家を導いていったのかを検証せんとするものである。小林勝の短篇「フォード・一九二七年」(1956)は、生まれ育った植民地朝鮮に突如、フォードに乗って姿を現したトルコ人一家がもたらした波紋と、それが幼い感受性に及ぼした微妙で屈折した影響とを描き出す。ここで否定的契機を内在させて語られた異郷体験は、やがて小林文学の中でノスタルジーの明確な拒否へ向かっていくのだが、そうした回路の捻れが、ただちに表現や方法の見直しに作家を導くことはなかった。これに対して、長谷川四郎の満州、シベリアにおける異郷体験のほうは、表現や方法の革新につながっていったという点で、小林の場合とは大きくその趣を異にしている。ほぼ同時期の仕事であるカフカ短篇の翻訳『飢餓術師』(1954)と、短篇集『シベリヤ物語』(1952)、『鶴』(1953)とをあわせ読むと、長谷川四郎における異郷体験と異言語体験が響き合って、国や文化や言語の境を越える表現を志向し、異化の効果を発揮する文体、非人称的な一人称複数による語りなどとして結実していく様が確認できるはずである。一方、西洋近代的、プルースト的方法からの脱却の道を模索し続けた森敦は、その晩年にいたって、非西欧的でありながら日本的とも東洋的ともつかぬ、仏教的にしてかつ霊的な地霊を取り込むことによって、小説に現在感を確保する方法に行き着く。そうした地霊の機能する場として再び見出された、森が少年期を過ごした朝鮮は、小説「浄土」(1888)において、新たなる表現の方法として有効に機能しているのである。
참고문헌 (16)
- 安字植, "小林勝と朝鮮, in 戦後文学とアジア" (1978), 毎日新聞社
- カフカ, "飢餓術師 他二十篇" (1954), 河出文庫
- 川崎賢子, "彼等の昭和――長谷川海太郎・潾二郎・濬・四郎" (1994), 白水社
- 川村湊, "異郷の昭和文学――「満州」と近代日本" (1990), 岩波書店
- 金石範, "「懐しさ」を拒否するもの", 小林勝作品集, 5 (1976), 白川書院
- 小島信夫, "対談 文学と人生" (2006), 講談社
- 後藤明生, "カフカの迷宮 悪夢の方法" (1987), 岩波書店
- "小林勝作品集 全5巻" (1975), 白川書院
- 佐々木基一, "同時代作家の風貌" (1991), 講談社
- 中根隆行, "〈朝鮮〉表象の文化誌――近代日本と他者をめぐる知の植民地化" (2004), 新曜社
- 中村光夫, "現代日本文学全集別巻1 現代日本文学史" (1959), 筑摩書房
- 朴春日, "増補 近代日本文学における朝鮮像" (1985), 未来社
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- "長谷川四郎全集 全16巻" (1976), 晶文社
- 針生一郎, "長谷川四郎と大陸の空, in 戦後文学とアジア" (1978), 毎日新聞社
- "森敦全集 全9巻" (1993), 筑摩書房
