「記紀神話」에 나타난 ‘韓’과 「スサノヲ」
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초록
「記紀」の神代巻に独自的に登場している外国地名は「韓」と「新羅」である。この言葉の登場は日本神話においてどういう意味を持っているのか。また、「韓」という語とともに高天原における「スサノヲ」という存在とは異なり、いわゆる「出雲神話」の中での「スサノヲ」とはどういう関わりを持っているのかについて考察するのがこの論文の目的である。 まず、日本神話を豊富に描かれている「記紀」の神代巻に「韓」という語はみな五ヶ所見つかる。ところで、「韓」という言葉とともに登場している「スサノヲ」という神とその神を祭ったとされるる出雲をはじめ古代西日本地域は、すでに朝鮮半島との交流が盛んだった所が数多く見つけられる。その地名の共通的なのは「スサノヲ」の存在とともにすべて地理的に朝鮮半島に面した海岸に近いところにあったということである。その地域の人たちは古代において朝鮮半島の国々と人的․物的交流を担当した勢力である。さらに、彼らは古代日本における重要な地位を確保していったとも言える。ここに記紀神話の内容そのものが神話的な物語にせよ、歷史的な事実にせよ、その由来を朝鮮半島との関わりを除いては繰り広げられない特別な意味があったと言うことができる。 たとえば、紀伊海人は熊野海人とともに4世紀末から6世紀にかけて朝鮮半島の交流を盛んにした勢力であり、その子孫である紀氏は5~6世紀頃、朝鮮半島と日本との交流に主役を果たしてきたと言われる。紀伊海人はたびたび朝鮮半島に渡航し、韓人との交流を進めることにより、その祭神であった「スサノヲ」も次第に朝鮮半島系のシャーマニズム風の要素を加えるようになり、つまり海の彼方からある一時期を定め、來訪する豊饒神として祭られた。さらに鉄剣の韓剣を持って出雲に降臨する英雄神に変貌していった。もとより西日本地域の海人たちは一種の漁撈民に過ぎなかったが、朝鮮半島系の文化に接しながら砂鉄を精練し、刀剣を製作するに至る技術を身につけながら、強力な戦士団に変わった可能性が高い。かれらは砂鉄を求め、吉備地方に移動し、その地方に「スサノヲ神社」を建て、その信仰を伝えつつ窮極的には出雲地域に進出し、刀剣類を確保しようとしたのではないか推定される。「スサノヲ」を祭神にしたこれらの集団が次第に内部の山間地帯の方に支配領域を拡大しながら先住民であった高志人と数多くの山民と農民層の集落を征討するとともに支配していったことを神話的に描いたと考えられる。その過程で首長は須佐氏族を名乗り、自ら「スサノヲ」を祭ったと見られる。したがって「スサノヲ」を祭神にした西日本一帯の海人たちの活動を神話的に表現したものだと言える。
