金東仁と芥川龍之介の文学
The Literature of Kim Dong In and Akutagawa Ryunosuke
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초록
短編作家で有名な韓国の金東仁は芥川龍之介ときわめて似た作風をもつ作家である。互いに芸術至上主義的傾向を示し、生涯キリスト教やイエスに関心を示した。この二人の作家を比較することで見えてくるものはなにかを本稿で考えてきた。言うならば、韓日二作家の比較研究試論である。 芸術至上主義的な傾向を見せている作品群やキリスト教と関連を持っている作品には、共通点が多くあるが、相違点もむろんある。まず金東仁の「狂炎ソナタ」と芥川の「地獄変」にしても、両作品に芸術至上主義的傾向を持っている面は確かにある。しかし東仁の「狂炎ソナタ」の方がもっと赤裸々に犯罪の場面を書いている。芸術のために人間がここまで出来るのかと思われる酷い描写が展開される。芥川の「地獄変」の場合は惨たらしい場面を押えて描き、猿を登場させてその中にも感動を与えている。教養人としての面子を意識している芥川の一面が彼の筆致に反映されている。 次に金東仁は実際の生活においても放蕩に陥り、芸術のための芸術を文章だけでなく、彼自ら生活上で演じたと言えよう。しかし東仁は「芸術は人生のためでもなく、芸術自体のためでもなく、ただ芸術家自身の防ぐことのできない芸術欲のための芸術です。」(『金東仁全集』Ⅵ、四一一頁)と語っている。厳しい検閲を受ける植民地下で文学をやり、多作による神経衰弱に悩まされていた東仁としては、芸術欲がなかったら文学を続けることができなかったであろう。この芸術欲は芥川龍之介における「永遠に超えんとするもの」(「西方の人」3 聖霊)と言える。 さらに金東仁も芥川もキリスト教物を書いている。芥川の場合は、彼の傑作に切支丹物が含まれており、キリスト教的信仰から見て正しいかどうかを問わず高く評価されている。しかし東仁の場合は、キリスト教文学に至っていないという厳しい評価を得ている。日本では早くからキリスト教文学というジャンルが文学史の中でページを占めていたのもその理由の一つであると思われる。韓国にはキリスト教徒が多い面もあり、キリスト教文学の定義自体がキリスト教信仰を基準にしている傾向も見せている。韓国と日本のキリスト教文学との比較研究を通してお互いに対話していく必要がある。 最後に、短編においても韓国最高の作家である金東仁は芥川文学からの影響を受けているかどうかの問題である。一九〇〇年生まれの金東仁と一八九二年生まれの芥川龍之介は、ほとんど同時代を生きた作家である。東仁は芥川を夏目漱石の後を継いでいる出世した作家であると指摘している(「文壇三十年の足跡」、『金東仁全集』Ⅷ、三九三頁)。東仁がこう言えたのは芥川の文学を熟読したからであろう。
참고문헌 (9)
- 葛巻義敏, "芥川龍之介未定稿" (1965), 岩波書店
- 長璋吉, "金東仁短篇集" (1992), 高麗書林
- "金東仁全集 全十七巻" (1987), 朝鮮日報社
- 金永澤, "韓国近代小説論" (1991), 民知社
- 金允植, "半歴史主義志向の過ち in: 金東仁" (1998), 西江大学校出版部
- 金春美, "金東仁研究" (1985), 高大民族文化研究所出版部
- 白鐵, "金東仁近代小説研究解説 in: 金東仁研究" (1982), セムン社
- 朴サンチュン, "韓国現代小説に表れた基督教的救いの問題―金東仁の<明文>等と金東里の<サバンの十字架>を中心に", 韓国現代文学研究, 19 (2006), 韓国現代文学会
- 李文九, "金東仁の美意識研究" (1995), 景仁文化社
