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후지와라(藤原)시대의 문학관리의 가능성

The Possibility of Hujiwara's Control over Literature

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주제분류일본어와문학

초록

Abstract

論者は日本の中世軍記物語の代表作である平家物語や太平記に勝者観及び敗者観による叙述公式が作用していることに気付き、そのような見方に部分的な間違いはないのかを確認しながら全体像を提示しようとしてきた。本稿ではこのような叙述公式が上代の神話や中古物語にも適用できるのかということを探ってみようとした。それはいわば政治宗教理念が文学に投影されているからもたらされた現象であろうと判断されるが、そのような見方は既に日本でも提起されてきた。その中でも、藤原不比等が政治と宗教の支配を確保した後、一方では記紀により神話つくり、一方ではその神話にふさわしい神社を作ったのだという分析など、記紀の成立に藤原氏が深く関わっていたと見る分析が既に通説の段階に乗っている。本稿ではそのような学説を参考にして、神話に登場する英雄や、伊勢物語に表れた在原業平の形象化を分析することにより、藤原氏の文学管理の可能性やその具体的な方法について考察してみたい。 日本神話に登場する神や英雄は、天皇の系譜を継いだ者であるか、継いでいない者であるかによってその形象化の方向がはっきりと分けられる傾向が強い。天皇になった神や英雄の方は好色的な面が重視され、浮彫りにされている。天皇の系譜を継いでいない神や英雄は初めからその悪行が浮彫りにされているが、追放されてからは大和朝廷や民衆にためになるような勇猛な英雄として形象化されており、特にその死が美化されている。それは敗亡者への鎮魂であるとともに勝利者への名分論に利用される面がかなりあったと判断される。藤原の勢力が天皇の摂政という地位で確固たる基盤を確保してからは天皇や貴族の英雄は色好みの人物に形象化されるようになる。在原業平は父系や母系は皆皇族であり、高貴な身分であった が、藤原氏の他氏排斥政策により政界の権力を奪われた人物である。ところが、伊勢物語では歌と恋愛に生きていた理想的な人物のように形象化されている。もし業平が藤原の勢力により権力を失い恨みを孕んで京を立ち去ったと叙述したとすれば、それは当時の日本人にとっては怨霊化の恐ろしさを感じさせるに充分な出来事であったろう。したがって、業平が藤原の娘であり、皇后となった二条后との失恋により自ら都を立ち去ったというふうに叙述することによって業平の政治的な失権の原因を紛らし、業平が自ら歌と恋とに生き、万人の恋人であったかのように形象化されるようになったと判断される。権力を奪われた在原業平の挫折と怨恨を鎮魂し、解明するような次元から、業平が民衆に広く愛される風流人のように形象化されたのと同じように、当時藤原の摂政体制の確立と共に権力から遠ざけられた天皇や貴族たちも藤原氏により恋愛と仏事、呪術、文学活動に専念するように導かれた面がかなり多かったと判断される。藤原氏の助成した女房文学を通じても当時の文学環境が主導できたと考えられる。

참고문헌 (3)

  1. "津田左右吉全集"
  2. "梅原猛著作集20 日本學事始" (1982)
  3. "日本文學史序說" (1975)

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