日本の民衆,民俗宗敎における湯,溫泉の宗敎的シンボリズム
Religious Symbolism of "YU"(hot-spring & bath) in Japanese Folk Religion
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초록
Abstract
日本の湯․溫泉の文化は、宗敎的起源をもち、その宗敎文化は、民衆․民俗宗敎の樣々な觀念や儀式として今日まで續いている。本稿は、宗敎現象學の視點から湯․溫泉の宗敎文化の構造的な面を槪觀․考察したものである。第一に、湯のシンボリズムは水のシンボリズム(象徵の意味內容․作用․連關)に重なる。宗敎學者エリアーデによれば、水は事物․槪念間の仲介者であり、「淨化」「死と再生」を象徵する。水․湯による禊ぎは身殺(みそ)ぎ(吉野裕子)であり、新生を象徵する行爲である。第二に、湯のシンボリズムは水のシンボリズムと火のシンボリズムの性格を倂せ持つ。湯の溫かさは常世(とこよ)のイメージに結びつき、風呂のエクスタシー的な性格(吉田集而)․癒しの力に繫がる。一方、湯の熱さは大地、山のもつ聖なる力の顯れを意味し、盟神探湯(くかたち)や湯立て神事などのように水よりも强く「淨化」「死と再生」を象徵する。第三に、マクロコスモスである大地と(メソコスモスである社會的存在と)ミクロコスモスである身體の間のシンボル對應が湯․溫泉のシンボリズムにも見られる。例えば、風呂の語義や山岳宗敎などから考えれば、人間が風呂に入ることは、室(むろ)․洞窟․大地の子宮に入ることと同一視されよう。また、熊野湯ノ峰神社のように湯ノ峰の湯が形態․性質․音の相似により、身體(大地、山)の胸から出る乳と同一視されることもある。さらには、開湯神話における杖(つえ)と大地の結合による溫泉の誕生(メソコスモスの創造)は、男性生殖器のシンボルと(あるいは、その近くで)溫泉に入ることでの「子寶」の誕生(ミクロコスモスの創造)に繫がり、アメノヌボコによる國生み(マクロコスモスの創造)とも同一視される。より大きな存在との同一性によって癒しの力が保證されるのである。第四に、巡禮起源神話という神々や超人的な人物の癒しという原初的なモデル․祖型となる物語と、その物語を人々が繰り返すという模倣․反復、すなわち倣って巡禮․入浴するという構造がある。身體の癒しとしては小栗判官の癒し(中世の熊野巡禮)が、精神の癒しとしてはオオナムチの癒しが擧げられよう。英雄や神々ですら癒されたのだからこそ、人々の癒しが保證されるのである。
참고문헌 (6)
- "「繪卷『をぐり』」、『古淨瑠璃ㆍ說經集』(新日本古典文學大系)" (1999), 岩波書店
- "「溫泉考」、小笠原眞澄、小笠原春夫校注、『訓解、溫泉考』" (2002), 文化書房博文社
- "硏究 *注1の文獻を參照のこと。注で引用ㆍ參照の文獻は除外"
- "The Myths of Creation" (1966), Scholars Press
- "入浴ㆍ錢湯の歷史"
- "水と溫泉の文化史" (1996), 三省堂
