아베 미츠이에(阿部充家)의 생애 기초 연구
阿部充家の生涯-基礎研究
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초록
이 논문은 『古稀之無佛翁』(1931)과 『無佛翁偲び草』(1936.3) 등 일본 측자료들을 기반으로, 아베 미츠이에(阿部充家)의 생애의 중요 국면들과 그쟁점들을 정리하고 그의 후반기 생애 중 학계에 소개되지 않은 에피소드들을 선택적으로 제시해 본 것이다. 아베는 근대 일본 정치사의 격동의 현장에서 출생・성장했다. 백부와 스승이 죠슈 정벌과 서남전쟁에 참가한 당사자였다. 서남전쟁 후 구마모토인들이 걸어 간 두 가지 경로―자유민권 운동과 국수주의적 팽창주의―속에 그의 인생 행로 역시도 가로 놓여 있었다. 이 갈림길 속에서 그가 선택하게 된 것은, 자유민권론에서 팽창주의로 전향해 간 도쿠토미 소호(德富蘇峰)와의 합류였다. 청일전쟁 시 종군을 했으며 김옥균과 ‘체맹’을 하던시기의 아베는 당시 도쿠토미의 행보와 유사한 길을 걸었을 것으로 추측해 볼 수 있다. 『경성일보』 시기 그의 생애와 관련해서는, 노다 우타로(野田又太郞)와의 긴밀한 네트워킹 관계, 이들이 경성 묘심사 별원 및 무문회의 운영 주체였던 점, 무문회의 구성원들이 재경 일본인들을 망라한 성격이었음을추가로 확인할 수 있었다. 『국민신문』 부사장 시대 및 중앙조선협회 활동기의 아베 이미지는, 이광수를 포함한 일본인 지인들이 한결같이 ‘조선에 대한 이해자’, ‘헌신적인조선인 지원자’ 등의 방식으로 기록하고 있다. 그는 사이토 마코토 측근에서 문화통치 정책의 입안 및 시행과 관련된 책사・정략가로 활약하는 한편,통치 당국 및 도쿠토미와의 갈등을 야기할 정도로 조선인을 위해 ‘헌신’하는 면모들을 그의 지인들 사이에 각인시켰음이 확인된다. 아베의 인생이갖고 있는 이 상호 대립적인 면모는, 후일 아베의 전체상을 종합하는 시도가 필요한 국면에서 핵심적인 검토 과제가 될 것이다.
Abstract
『古稀之無佛翁』(1931)と『無佛翁偲び草』(1936)等の資料を基盤とし、 阿部充家の生涯の様々な争点及び学界に公開されていない彼の生涯の様々な局面を提示してみた。最初に、 阿部が近代日本政治史の最激動の現場で生まれ、 成長したのを確認することができた。 伯父と師が、 中央権力と地方士族間の戦争に参加した当事者であること、 西南戦争後の熊本人が歩んでいた二種類の経路(自由民権運動及び国粋主義的膨張主義)の中に彼の人生経路も横たわっていることを確認することができた。 この岐路で彼が出会い、 一生を共ににしたのは、 自由民権論から膨張主義へ転向していた德富蘇峰であった。 日清戦争期に従軍をし、 金玉均らとの‘締盟’を行った『国民新聞』時代の阿部は、 徳富の行歩と類似した道を歩んだと推測される。『京城日報』をへて中央朝鮮協会時代に至るまでの阿部は以前とは別の観点でみる必要がある。 文化統治政策の策士乃至政略家として活躍する一方、 彼は朝鮮に対する‘理解者’、 ‘献身的な支援者’としての姿、 統治当局及び徳富との葛藤をも辞さない程、 朝鮮人のために献身する面貌を広汎に残し、 彼を知っている日本人や朝鮮人はこのイメージを持って阿部の生涯を特徴つけた。姜東慎を通して立証された通り、 阿部の生涯の中には、 有能な植民地経営戦略家としての経歴がある。 彼は、 日本の朝鮮支配が、 朝鮮の‘独立’と近代国家建設のための最適な方便であると信じている人物であった可能性もある。 しかし、本論文のエピソードを通して確認されたように、 彼の生涯には、 政治的な行動の発露のみに判断し難い、 個人的な熱意の実践とも言える面貌が確認される。それは彼の禅修行者としての面貌と深い関わりがあるかもしれない。この相互矛盾の側面が複合されているのが、阿部という人物の本質にみなし、 アプローチしていくことも一つの代案になり得るだろう。 すなわち彼の政治観と彼の禅と人道主義が、 阿部個人のレベルでは‘幸福な同居’関係にあったかも知れない可能性がそれである。もちろん、 基盤資料の発掘が顕著に足りない現在の時点で、 総合的な結論を下すのは避けたい。 今後必要な研究課題は山積しているが、 一番緊急な調査課題は、 徳富と阿部が関与した熊本新聞、 国民新聞に対する全面的な調査作業である。 この作業を通して当時の徳富と阿部がどれほどの共通性と差別性を持っていたかを判断する作業に挑戦してみたい。
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