황순원의 『카인의 후예』와 아리시마 다케오(有島武郞)의 『카인의 후예(カインの末裔)』에 나타난 ‘카인’ 표상
有島武?の『カインの末裔』と黃順元の『カインの末裔』に現れたカインのイメ?ジ
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有島武郎のカインの末裔と黃順元のカインの末裔に現れたカインのイメージ 金孝順 (高麗大) 日本の白樺派の作家、有島武郎のカインの末裔は北海道の荒涼とした自然の中で、本能によって生きて行こうとする一人の男の運命を聖書の創世記の「カインとアベル神話」のカインのイメージをモチーフで描いた作品である。これと関わって韓国の近代文学の方に注目してみると、37年という時間的隔たりはあるが、黃順元にも同じモチーフの、同じ題名の作品が存在するのは興味深い。黃順元のカインの末裔は解放以降の北朝鮮で土地改革が実施されるにともなって、地主階級が没落し人民委員会が成立され人民裁判が開かれる、荒々しい雰囲気のなかで、地主の息子が越南を決心する内容で,作家はそのような解放空間の土地改革という現実の問題をカインのイメージを借りて描いている。 本論文では上記のように、有島武郎と黃順元という二人の作品が同じモチーフと題名を使っている点に注目し、両作品のカインのイメージを聖書のそれと比較しどんな類似と差異を見せているか、またそのような違いが作品の主題の表現にどのように働いているかを検討した。 その結果、両作品は文学的メタファーとしてのカインのイメージを充実に援用しているが、「神あるいは自然」を解釈する方法においては違いを露呈していることが確認できた。つまり、「神あるいは自然」が有島武郎の場合には人間内部の本能に帰結され個我の問題として扱われている反面、黃順元のカインの末裔では解放以降の土地改革と6・25という同族同士の戦争という悲劇の体験に基づく、歷史的・社會的な現実の問題として扱われていた。また、醜悪な本能と対立する母性が有島武郎の場合には微々で救援としての技能が働けなかったが、黃順元の場合には犠牲の精神と保護本能に基づく母性が救援の可能性として提示されているということが確認できた。 このような違いは韓日両国の宗教的・文学的風土の問題と見なしてもいいし、二人の作家の個人的な気質の違い、さらには作品世界の違いによると見なしてもいいのではないかと思う。その結果、有島武郎が過度な倫理意識と自意識に苛まれ早くも生を終えたのに対して、黃順元はカインの末裔を前後とする1950年代から1960年代初の間に星のように生きる(1950)、人間接木(1955)、木々、坂に立つ(1960)、日月(1964)など、解放の前から6.25直後までの歴史的現実に対した認識を拡大していく作品を盛んに発表出来たのではないかと思われる。
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