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다카무라 고타로(高村光太郎)의 전후시 연구―『덴케』(典型)를 중심으로―

A Study on Kotaro Takamura's Post-War Poetry

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주제분류일본어와문학

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Abstract

高村光太郎の戦後詩は1945年8月敗戦から1955年末までの約100余に及んでいる。高村光太郎の戦後詩は、光太郎の50年の詩業の最後の様子であり、一方、戦争詩人に対する自己責任の表れでもあった。詩集『典型』は高村光太郎の戦争責任に対して,自分を暗愚と規定し,その暗愚の精神史の致命点の摘発をするために意図的に戦争詩との関連のない1945年敗戦以降から1950年2月までの詩を集めて1950年10月上梓したのである。 高村光太郎の戦後詩は三つの時期に分けられる。戦後(最)初期は戦時の延長であり、依然として戦争詩人の立場に立った時期であった。中期は「暗愚小伝」を構想、執筆,完成,発表し、その後,自省と謝罪の詩を発表する時期までである。後期は暗愚の自己の模索のための思索とその結果,自然の懐に帰依した時期である。初期は文化強国を建てて,世界制覇のため,もう一つの戦争に取り掛かった敗戦直後と、その後,天皇と天皇制に執着した時期に移って行った。この時期,高村光太郎は戦前と同じ戦争詩人の立場に立って日本民族主義者として天皇制を支えていく柱であった。中期は初期の立場から大きく退いて,戦争詩人の姿を捨てて,自粛し積極的に解明するために「暗愚小伝」を発表し、続いて自省と陳謝を意を表する時期である。このような変化は戦後民主主義の増大による左翼進歩文学陣営からの光太郎を初めとする戦争責任者の強い処罰要求に依るものである。後期はその基調の上で,暗愚に鞭打ちの意味からいかに生きていくべきかについての思索であり、歩いていく道の摸索であった。その結果,高村光太郎の行くべき道は自然へと智恵子の世界への帰依であった。高村光太郎が苦心しながら選んだなは新しい東洋への帰還と日本との再会であった。

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