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復康遇聖 - 韓人の遺した日本語史文 -

On Kang Woo-sung’s Ch’eophaesineo

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주제분류일본어와문학

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Abstract

16~17世紀の日本語の話しことばを記載した、キリシタンの口語文献や狂言台本を見慣れた目からすれば、康遇聖の『捷解新語』の日本語には、外国人にまぬかれることの出来ない、未熟さによる誤りが散見している印象がある。そして、規範から逸脫する、その現象の責任を、編者である康遇聖の日本語の未熟さに転嫁しようとして来たのではないだろうか。康遇聖の未熟さによる誤りと見られる現象は、外国人にまぬかれることの出来ないそれではなく、近代語としての規範の確立前の「未規範」の状態にあった日本語を凝視した康遇聖が『捷解新語』に投影した結果であると考えてみたいのである。「未熟さ」は、康遇聖個人の問題というよりも、近代日本語の規範の未熟さの問題であった。

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