韓․日 近代 西洋畵 受容과 그 影響-고희동과 구로다 세이키(黒田清輝)를 중심으로-
About a reception of modern painting and the influence in Korea and Japan -focus on Ko Hei Tong and Kuroda Seiki-
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초록
日本の洋畵界の巨匠である黑田淸輝は、日本のみならず朝鮮·フランス·臺灣などの美術界、敎育界、文學界、政治界にかけて広範囲な圍影響力を持っていた。彼の弟子の中の一人である高羲東は、植民地朝鮮の洋畵界で先驅け的な役割を擔當した。しかし黒田とは違い高羲東の場合、西洋畵家としての作品の活動は長くなかった。作品として肖像畵の3点にとどまってしまった点は、近代朝鮮の画壇の未成熟な面として、残念に思われる。朝鮮と日本において洋画の導入過程は両国の歴史と時代状況とをよく反映している。洋画導入の困難や需用者の間の見解の差なども重要な部分であったが、何よりも新しい題材や技法の導入で、主體に対する自覺が現れるということが分かった。朝鮮において美術槪念の受け入れと実践、美術行政の成立とそれにともなう近代畵壇の形成は、植民地の初期に日本美術學校で学んだ人々から、その次世代に 連結されていた。植民地という特殊性により半世紀も以前に、すでに日本で進行された開花の風は19世紀末、朝鮮に上陸したが、結局自律的な近代化には失敗したし、新しい美術の流れもこのような狀況から自由になれなかった。韓日合邦條約が締結されると、我々文化の中の心地ははっきりとソウルから東京に移されることになった。最初の美術の留學生らが日本に渡ることになったこともこういう背景であった。ささいなことへの関心、ありのままの表出などは未熟であるが、兩國の若い画家の中で主体を探し始める苦悩がにじみ出ていた。このような狀況は文學でも同じ現象で現れたし、多くの文人らが東京を據點として活動を広げた。しかし留學を通じて新しい媒介を習得したにも関わらず貴國後、保守的なアカデミズムで陷沒されてしまったことは残念なことである。ここにも日本へ偏重された留学の産み出した問題点であろう。無批判的で、現實の認識や時代狀況が排除された、形式主義としての技術導入の段階を越えようとする努力がより一層徹底的に要求されると思われる。
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