有島武郞とキリスト敎背敎の問題
ARISIMA TAKEO`s thought on renegation some Christianity
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有島武郞とキリスト敎背敎の問題 有島武郞は約10年間(1899年から1909年まで)に亘るキリスト敎信仰生活を終え、元の「嬰兒」に戾ろうとしたのである。紆余曲折の中やっとの思いでキリスト敎背敎の宣言を公にした有島は、それだけで大きな事件であり、畵期的な精神上の變貌を意味する出來事でもある。有島はなぜこのようにして背敎宣言をしてしまったのだろうか。この論文はこのような有島の背敎問題について、その意味と背敎しなければならなった精神的苦惱の實体を考察してみた。 キリスト敎入信の時は、罪からの解放の糸口だったその信仰が10年後、もう重荷になってしまたのである。罪なる<肉>からの解放、「同情」の實現、キリストの神と自らみていた「神」とのずれなどがより鮮明にされてきた以上、有島はもうこれ以上キリスト敎の信仰生活を續けることが苦惱でしかありえなかったのである。 つまり、「罪」に對する疑問は、キリスト敎の神を通して、「人」の〈肉〉の問題が救濟され得ないことの認識、すなわち、キリスト敎そのものによって、眞の「同情」が實現されないことを意味する。このように、有島が背敎のことを決心したのは、キリスト敎の「僞善」的な面(眞の「同情」の實現をキリスト敎の中で見いだせなかったこと)、及び自分自身のキリスト敎徒としての「僞善」(同じく、有島自身も眞の「同情」が實現されることが出來なかったこと)を見出したが、何よりも有島自身その「僞善」に堪えきれない性格が結局の所、キリスト敎から離れなければならないように働いたわけである。結局、有島はキリスト敎を通して「同情」を實現することの不可能を知り、キリスト敎から離れることを決心するに至るのである。だからといって、有島はこの「同情」のことまで放り出したのではない。キリスト敎を離れた有島は、この「同情」の問題を文學を通して考えはじめることになったのである。
참고문헌 (4)
- "有島武郞の自殺とキリスト敎 近代日本思想史の一斷面", pp.39~63 (1963), 神戶女學院大學
- "有島武郞硏究 自然觀にみるキリスト敎受容と定着化の考察", pp.8196312 216~227
- "有島武郞は約10年間(1899年から1909年まで)に亘るキリスト敎信仰生活を終え元の「 兒」に戾ろうとしたのである.紆余曲折の中やっとの思いでキリスト敎背敎の宣言を公にした有島はそれだけで大きな事件であり畵期的な精神上の變貌を意味する出來事でもある.有島はなぜこのようにして背敎宣言をしてしまったのだろうか.この論文はこのような有島の背敎問題についてその意味と背敎しなければならなった精神的苦惱の實 を考察してみた."
- "キリスト敎入信の時は罪からの解放の 口だったその信仰が10年後もう重荷になってしまたのである.罪なる<肉>からの解放「同情」の實現キリストの神と自らみていた「神」とのずれなどがより鮮明にされてきた以上有島はもうこれ以上キリスト敎の信仰生活を續けることが苦惱でしかありえなかったのである."
