일본현대사를 해독한다
A Critical Essay on the Japanese History of 20th Century
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초록
이 논문은 러일전쟁 이후 100년 간의 일본현대사가 歡喜의 시대와 悲感의 시대를 순환적으로 반복해온 과정을 「언덕 위의 구름」의 시대와 「언덕 아래의 늪」의 시대로 대비하여 해독하는 데 초점을 맞추었다. 특히 러일전쟁 100주년을 맞이한 일본지식인들은 시바 료타로의 저작 언덕 위의 구름(坂の上の雲)을 그 지렛대로 삼아 백년전의 환희를 21세기에도 재현하기 위해 일본의 역사의식을 부추키고 있다. 그러나 논자의 관심은 일본인에게 이러한 환희의 시대가 곧 광기의 시대였고, 또한 그것이 일본의 현대사를 「언덕 아래의 늪」(坂の下の沼)으로 빠지지 않을 수 없게 한 비감의 침체기를 잉태했다는 사실을 역사적 리트머스 시험지와도 같은 사회적 병리현상들을 들어 논증하는 데 있다. 논자가 결론으로서 이 논문에서 강조하려는 것은 제국에 대한 노스탈쟈가 제국에의 욕망을 다시 자극하고 있는 최근의 일본 정서에 대한 역사적 경계인식에 있다.
Abstract
文芸春秋が1999年および2003年に日本の多數の著名人に「後世に伝えたい20世紀の本」「日本の再發見につながる本」についてアンケートしたところ、どちらも司馬遼太郞の坂の上の雲が第一に擧がった。 中曾根康弘、渡辺恒雄、江坂彰、鶴見俊介、池井優をはじめ多くの著名人が、日露戰爭を舞台として明治時代の人物群像を描き出した坂の上の雲を推したのは何故か。そして20世紀の100年を過ごした日本の知性が、百年前の歷史を回顧․反省し、さらにそこから未來を見出そうとするのは何故であろうか。それは過去100年間の日本の歷史が、日露戰爭(1904—05)の時から「坂の上の雲」の歡喜の時代と、「坂の下の沼」の混迷の時代をメビウスの帶のごとく循環してきたし、未來も同樣に展開すると彼らが考えているからである。 よく考えてみれば、日本現代史における榮辱の繰返しは、日淸戰爭(1895)の時すでに始まっていたようなものである。それ以降日本は太平洋戰爭敗北まで半世紀、平均二年に一回の割合で戰爭ゲームに耽溺したが、これが歷史的轉換点ともいうべき大斷層線を生み出した。 第一の斷層線は、日露戰爭の勝利で脅威を取り除いた日本が「帝國の建設」の新方針と大陸利權維持․擴張という目標を打ち出した「帝國國防方針」の發表(1907)である。これに前後して大韓帝國に乙巳協約を强要(1905)し、陸軍を19個師団に增强したのと同じ年高宗皇帝に退位を迫り(1907)、日韓倂合(1910)に至る。また第二の斷層線は、山東省進出、張作霖爆殺から、柳條湖事件を経て滿洲國建國に至る關東軍の動き(1933—34)である。以降日本は國際連盟の脫退(1933)を経て日中戰爭(1936)と、なし崩しに「十五年戰爭」に突入していった。 日本近代史の勃興期を「坂の上の雲」の時代と表現するなら、最初のそれは明治維新(1868)から第一次世界大戰終結(1920)頃までの間であり、第二次大戰の敗戰(1945)から東京オリンピック(1964)を経て、経濟發展の基礎が固まる1973年頃までが第二のそれにあたる。反對に日本近代史上の政治的․社會的混迷期を「坂の下の沼」の時代と名づけるなら、1920年前後から1945年に至る大恐慌と軍國主義化の時期が最初のそれであり、第一次オイルショック(1973)からバブル経濟とその崩壞を経て、長期不況からの回復の兆しが見えてきた2003年までが第二の「坂の下の沼」の時期だったといえる。 日露戰爭100周年を迎える日本は、三度目の「坂の上の雲」の時代を待望している。日本がミレニアム症候群から拔け出すべく政治․経濟․軍事などあらゆる分野で奮鬪しているのもそのためである。まさに100年前の20世紀初頭、日本が150日間の旅順攻防戰で勝利して「坂の上の雲」に驅け上がったように。ある意味では日露戰爭は、ペリー提督率いる黑船によるウェスタン․インパクトへの反作用であったが、今日の中國大陸からのイースタン․インパクトは、日淸戰爭当時以上に華夷秩序への警戒心と、100年前を上回る大きな力への欲求をよんでいる。今日の日本の知性が、躊躇なしに司馬遼太郞の坂の上の雲を「日本を見直す最良の敎科書」として擧げる理由もそこにある。だが、韓半島がそのために將來受けることになる壓力について考えてみるならば、それは決して傍觀すべき事態ではない。である以上、運命共同体としての意識を强固にし、矜持を高める社會的な場の形成が急がれなければならない。
