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항왜 사야가(沙也可ㆍ․金忠善)의 실존인물로서의 의미와 평가
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주제분류일본어와문학
초록
文禄․慶長の役、即ち秀吉の朝鮮侵略は、数多い人々をその渦巻きの中にまきこんだ。その当時朝鮮人 でありながら日本側についた人もいた。彼等は順倭と呼ばれている。順倭の中には、心ならずも日本側 の手先になった者もいれば、もともと朝鮮国家にうらみをいだき、日本軍の侵略をきっかけに積極的に 順倭になった者もいた。そして、日本軍のなかにも朝鮮側に投降した者がいた。彼等は降倭とよばれて いる。彼等のなかには長陣による兵糧不足と厭戦気分から降倭になった者もいれば、はじめから秀吉の 海外派兵に疑問をいだき、積極的に朝鮮側に投降した者もいた。 その中の一人が降倭․倭将沙也可․金忠善である。彼は文禄․慶長の役の時、加藤清正の先鋒長として 海を渡ってきたが、この戦争は大義名分ないと思って、豊臣秀吉軍に反逆し、軍兵と共に投降した。以 後、朝鮮王朝に協力し大きな戦功をあげた。この功で朝廷より賜姓金忠善という姓名と官職を授けても らった。このような降倭․沙也可は、日帝强占期において時代の流れに便乗した日本学者達により彼の 存在そのものが否定された。そして彼の行狀を記録した文集の「慕夏堂文集」もでっちあげだと主張さ れた。本稿はこのような降倭․倭将沙也可の否定論に対して韓․日文献を通して沙也可の実存を考証す ることで、歴史的実存の人物として沙也可の存在を究明し、その意味を考察してみた。
참고문헌 (14)
- 青柳綱太郎, "慕夏堂集" (1915), 조선연구회
- 李正伯, "遥かなる降倭--沙也可を追跡せよ (1-14)", pp.21~ (2003), アプロ
- 李寶燮, "帰化武将沙也可(金忠善)に関する評価の変遷", 広島修大論集 人文編, 48(1) (2007)
- 小山帥人, "不正義の戦争から脱走し、日本軍と戦う-戦国武将、沙也可が問いかけるもの", 部落解放, 491, pp.88~95 (2001), 解放出版社
- アプロツ-ワン, "韓日関係掘り起こし沙也可の謎を解く-秀吉軍の叛軍の将․沙也可とは", 木孫一郎である, 6(9)통권 : 63 (2002)
- 中村栄孝, "日鮮関係史の研究 上・中・下" (1965), 吉川弘文館
- 中村栄孝, "朝鮮役の投降倭将金忠善--その文集と伝記の成立", 名古屋大学文学部研究論集, 통권 : 38, pp.1~30 (1965), 名古屋大学文学部
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- 文慶哲, "朝鮮を三度も救った日本人「沙也可」" (2003), 総合政策論集
- 賜姓金海金氏宗会, "慕夏堂文集附實記・国譯註解" (1996)
- 김재덕, "조국을 바꾼 사람들 - 사야가 일대기" (1994), 도서출판 대일
- 김재덕, "해방을 전후로 해서 일본인이 쓴 모하당 사론" (1995), 도서출판 대일
- 김재덕, "김충선 사야가(沙也可)․우륵동" (2000), 녹동서원
- 최장근, "근세일본의조선침략과영토확장-항왜사야가의실체에관한고찰-", 조선사연구, 10 (2001)
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