張赫宙의 민족적 작품과 친일적 작품의 비교 고찰 - 해방 이전의 일본어 작품을 중심으로 -
Comparative study of Jang Hyukju's Korean National Literature Works and His Pro-Japanese Literature Works- With Focusing on His Japanese Writing before 1945 -
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<要旨> 張赫宙の民族的作品と親日的作品の比較考察 ー解放(1945.8.15)以前の日本語作品を中心にー 本稿では解放以前の張赫宙の著作活動と關連して「初期の民族的執筆期」「過渡的執筆期」「國策迎合的執筆期」のように大きく三つに分けて考察を試みた。その結果、初期の民族的抵抗意識を帶びていた作品世界は次第に國策迎合的內容に変轉していったことが確認できた。これは日帝当局の檢閱の矛先をかわす方策のない狀況のなかで執筆を續ける限り、避けられない結果であったとも言えよう。作家自身はもちろんこういった狀況を誰よりもよく知っていたにもかかわらず執筆を續けたのであって、その結果は当然親日的なものに変轉していくしかなかったのである。 ところで、張赫宙の作品のなかに親日的なものがまじえているからといって彼の文學の全存在までが否定されるわけではない。といっても、彼の親日的執筆が許されるわけでもない。それは民族と作家自身の良心に背く行爲として作品に殘されているからである。張赫宙の文學がそれなりの価値を有するためには、執筆初期の民族的抵抗から親日協力へと轉じていったことの経緯の分析と批判を伴わなければならない。それはまたあるかも知れない有事の際に張赫宙の前轍を踏むような作家の出ることを警戒するうえでも有意義なことであると思われる。 張赫宙が親日作家だからといって、初期の民族的作品まで敬遠されるのは望ましいことではない。植民地末期の親日的作品までも受け入れて民族的作品と一緖に評価を試み、嚴しい狀況のなかで執筆を續けた作家と作品の全体像を捉えなければならない。しかしながら、初期の民族的作品を强調するあまり、植民地末期の親日的行爲まで美化されるようなことがあってはならない。張赫宙は氣の弱い一人の人間として親日に変轉していった不遇な作家に過ぎないのであって、彼が殘した作品もそういった面での再評価が望ましいものと思われる。
참고문헌 (10)
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- 태학사, "張赫宙의 生涯와 文學" (2002), 태학사
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