소세키 소설 속의 한국․만주․서양의 형상 - 등장인물을 중심으로 -
漱石小說の中の韓國․滿洲․西洋の形象 - 登場人物を中心として -
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초록
本稿では、まず漱石の倫敦、滿州及び韓國での体驗について檢討し、作品の中に描かれている洋行する人と滿州と韓國(朝鮮)に行く人たちを中心として漱石の作品から覗かれる滿州及び韓國の形象について考察してみた。 まず貧しい留學生の身分として倫敦に滯在した時、漱石は近代文明がもたらすマイナスの側面を直視し、日本の前途について心配していた。そして人間の力ではどうすることもできない人種的な劣等感を强く感じる不愉快な日々を送った。 以降、南滿州鐵道の總裁であった旧友の中村是公の招待によって滿州と韓國に向かうことになるが、これは倫敦の場合とは違って自發的で贅澤な旅であった。そしてその紀行文である 『滿韓ところどころ』を執筆したが、ここには旅先で見物したことと滿州で成功した旧友と弟子との再會と彼らとの思い出で點綴されている。漱石の銳い文明批判は姿を消しているのである。 これを作品をと通して考えてみると、まず外交官になって西洋に向かう『虞美人草』の宗近と西洋から歸ってきた『道草』の健三にとって洋行は成功のための關門のように認識され、豊かで學識のある『それから』の代助や『行人』の次郞が複雜な現實から逃避できる空間であると言える。 一方、財力家であった『草枕』の野武士は戰爭による犠牲者の一人で、滿州に行ってしまう。滿州と韓國から歸った後書かれた『門』からは滿州や朝鮮に向かう人たちがより具体的に描かれるようになるが、親友と妻から裏切られて滿州に行った『門』の安井と、賴るところのない冒險家の氣質を持っている『彼岸過迄』の森本、朝鮮に向かう「不幸な人間」である『明暗』の小林などは、日本社會では希望もなく生きていかれない失敗者である。 安井と森本の滿州での活躍ぶりや成功を見ると野武士と小林の前途も暗くはないと言える。このように失敗者で賴るところのない人たちが新しい人生を始めることのできる開拓の地、希望の地として滿州と韓國は作品の中で形象されているのである。
참고문헌 (5)
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