キリシタンの棄教と「尾形了斎覚え書」(芥川龍之介)
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本稿では、豊臣政権による「伴天連追放令」から始まり、徳川政権による「伴天連追放文」(「排切支丹文」)に至るキリシタン弾圧の歴史を辿り、それが芥川龍之介の「尾形了斎覚え書」の中にどう描かれているかを考えてきた。「尾形了斎覚え書」は、一六〇八年が本作の背景であると推察される中で、迫害の中でも喜んで苦難の道を歩んでいくキリシタンの哀歓が切々と表れている。神道や仏教の信仰がすでに根付いている日本に入ったキリスト教は、日本の伝統宗教と衝突し、葛藤を起こすのは当然の結果である。統一過程においてキリシタンは、神仏の否定者として利用され、統一の完成段階においては、邪法と規定されることにより、封建権力の強化に利用された。日本の為政者たちは、神道、仏教、儒教の三教一致を国是としていく中で、キリスト教を邪宗と決めつけ弾圧した。信長、秀吉、家康が自らを神格化するのに、キリスト教の絶対神信仰を持っている宣教師やキリシタンとは相容れないためである。宣教師追放、キリシタン大名の改易や追放、キリシタンの信仰禁止、結局は宣教師やキリシタンを火焙りするまでに至った惨い弾圧にも関わらず、棄教しないで殉教した宣教師やキリシタンの行跡は、各修道会を中心に文章として残され、カトリックの聖人として崇拝されるようになった。しかし、家族や他人のために棄教し、ころびとして生きていった人たちは、カトリック史の中で批判され完全に削除されていた。このころびたちに目を向けたのが、芥川龍之介である。なんのために命を捨て、なんのために自分の命より大事に思っているキリスト教の信仰を棄てたのかに、芥川は注目している。彼等からも崇高な愛を読み取り、歴史書では一行の記述で終わるか、忘れられ、名も知られていない殉教者や棄教者の物語を描いた切支丹ものを、芥川は書き残している。「尾形了斎覚え書」は、三教一致によりキリシタンを「邪法」として弾圧している中で、娘の命を助けてもらうために棄教した母情について描いている。両親への孝道のために棄教する物語は、後の「おぎん」に描かれるようになる。棄教するか殉教するかを求められるキリシタン弾圧の時代に、なぜキリシタンは棄教したかを、芥川龍之介は歴史資料に基づき、彼の想像力を働かせて伝えているのである。
참고문헌 (18)
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