宋代の外國人宿泊施設について ―『參天臺五臺山記』を史料として―
The Study of foreigner's residences in the Song dynasity- On the basis of the investigation as to "San-Tendai-Godaisan-Ki" -
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古来聖徳太子の歌として伝えられるのは、万葉集․巻三․四一五の片岡山飢人歌と、日本書紀․巻二二․推古紀の歌謠で、無論真作ではないが、古今集の真名序で、聖徳太子の歌が言及されたことが契機となって、元々日本仏法の祖として位置づけられていたことに加えて、以後和歌史上においても、院政期以降和歌の祖の一人に擬せられていく。 やがて聖徳太子信仰の興隆によって、太子の廟に対する信仰も生じ、様々な伝説が生まれるが、今回主要なテーマとして取り上げる次の歌も、中世の太子廟信仰の中から生まれてきたと見られる特異なものである。 つかのなかにてひとりながめたまける御歌 聖徳太子 かしのはをかみのかざしにさしし子もいのちやまだき人はてふかも (万代和歌集․雑五․三四六一、夫木和歌抄․巻二九․樫․一四O五七) この歌については、従来ほとんど言及されてこなかったが、聖徳太子の名で詠まれていること、詞書が示唆する歌の内容が特異であることなど、いろいろな問題を含んでいる。 まずは、明らかに聖徳太子伝暦太子四十八歳条に記されている歌(原歌は古事記歌謠)に基づいて偽作されており、伝略が享受され、新たな伝説が発生していく過程の一端を示す資料として読める。 また、中世には、弘法大師の入定伝説などの影響であろうと思われるが、廟の中で時を超越して生前の姿のままで鎮座する極めて生々しい太子のイメージが登場してくる。 それは弘法大師空海の入定にまつわる諸伝説と相似形をなし、この歌にも影を落としている。そこには信仰的․精神的な広い共通の背景の基で、再生していく太子像が示されている。
참고문헌 (4)
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