柳美里文學における?エロス?
Eros in Yumiri's Works
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Abstract
本論文は柳美里作品に描かれている「性愛」及び「性指向」、「性問題」を考 察して、柳美里文学におけるセクシュアリティーの意味を究明したものである。 まず、柳美里の作品には、大きく三つのセクシュアリティーに関する表 現が見られる。 一つは、主に初期の作品群に表われている女主人公の「性愛」である。 石に泳ぐ魚であれもやしであれ彼女らが所帯持ちの男と関係を結んだ背景には、崩壊した家族関係が強く影を落としている。家族への喪失感、そしてそれを埋めるかのように男性と関係を結んでいく女主人公の性関係の様相からは、男女関係の完成として「性」は描かれていないことが分かる。二つは、フルハウスと家族シネマの女主人公․素美が少女に惹かれるという女主人公の「性指向」である。学校でのイタズラ、父親の暴力にさらされているフルハウスのかおるの境遇は、女主人公・素美の少女時代そのものである。しかし、またそこには家族という自分の根源とも言える家族崩壊前の少女時代も同時に存在していて、それに遡及するかのように素美は少女に惹かれていく。つまり、家族崩壊前の少女時代への憧れが二作品の女主人公の少女性指向として表現されている。三つは、老人と少年の「性問題」である。社会からも家族からもその存在感が薄くなってしまった老人、その存在感を人間同士の一番密着出来る性関係を通して確認しようとした老人の性問題がタイルと女学生の友には描出されている。しかし、一番近い人間関係である家族関係を、老人の疎外感の震源地として描いているところに、この二作品における老人の性問題の特徴を見ることが出来る。一方、ゴールドラッシュにも、父親の家族への抑圧的な権力に堪え兼ねた十四歳少年の父親殺し、その恐れから逃げるためにした性行為などの有り様が描かれて、少年の非行に潜んでいる家族問題を浮かび上がらせている。 要するに、柳美里文学におけるセクシュアリティーは、家族という意味 を表わすための装置として機能しているのである。
참고문헌 (9)
- 柳美里, "もやし(フルハウス所)", pp.132~ (1996), 文藝春秋
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- 柳美里, "救神ではなく人の言葉で", pp.63~ (1998)
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- 林浩治, "民族を背負うことなく柳美里 石に泳ぐ魚の新しさ", pp.85~ (1995)
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- 秋枝(木)美保, "宮賢治と現代文そのⅠ(少女文の系譜)柳美里の文に引用された宮賢治文", 5, pp.19~ (2005)
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