본문 바로가기
KERD
논문KCI 등재

井伏 二「丹下氏邸」論 - 物語を統御する存在 -

A study of 『Dange's house』 by ibuse Masuji

0

조회

0

다운로드

0

인용

0

참고문헌

주제분류일본어와문학

초록

Abstract

「丹下氏邸」は昭和六年『改造』二月号に発表され、同年八月作品集『仕事部屋』(春陽堂)に改稿され収録されている。以後全集,自選全集でも改稿が行われている。 「私」は「姫谷焼という陶器の竃跡を発掘する目的で」東京から来て、村役場の吏員、六十七才の丹下亮太郎氏の家に宿泊する。丹下氏は四十何年も前に、自分の名前さえ知らない迷子であったエイを拾い丹下英亮と名づけ、男衆にする。エイは三十才を過ぎてオタツと結婚したが、五十七才になっても未だに世帯も持てず離れ離れに暮している。 先行する研究としては、語り手「私」の役割についての論が多い。東郷克美氏は、舞台や登場人物を同じくする「谷間」と比較して、「対象を正確かつ冷静に捉える『目』」としての語り手「私」の機能について整理している。一方、伊藤真一郎氏は語り手と作者との区別を提唱しており、藤森清氏は語り手の戯画化的表現を指摘しながら、「私」が「田舎を発見する物語に落ち着く」過程で、最終的にはパストラルな視線をテクストが問題にしていると論を結んでいる。が、その具体的な内実は論じていない。こういった先行研究の様々な読みは、語り手の位置をどこに置いているかにより生じているように思われる。本稿も同じく作品中の語りの構造を分析、テクストが問題にしている内実を具体的に考察しようとした。 その結果、作品の始まりは丹下氏邸での前近代的主従関係を都会人の「私」が批判的に見ている一種のプロレタリア小説であったが、階級意識に基づいている自分の偏見に気付く所で「私」は戯画化され、それに従い読者は物語を統御する今一つの存在を感じるようになる。即ちそれは、さびれていく封建的な閉鎖された田舎の現実と、更にはそれに対して何もできない「私」の現実をも、 複眼的視点から語っている。現実の悪循環に井伏は屈託し、地主階級にのみ責任があるとするプロレタリア文学とは異なる形で社会全体へ問いかけたのである。都会人「私」を通し田舎の悲惨な現実を、また物語を統御する存在により傍観者「私」を戯画化する重層的語りの構造、物語を統御する存在によって「丹下氏邸」の主題は明らかになってくるのである。

참고문헌 (5)

  1. "井伏 二の作品に就いて", pp.24~ (1931)
  2. "井伏さんから聞いたこと その二", pp.3~
  3. "現代文學に見る日本人の自畵像"
  4. "井伏 二事典" (2000)
  5. "井伏 二聞き書き" (1994)

관련 논문AI추천

이 간행물의 다른 논문 (22건)