일본의 관인 고지도와 ‘울릉도 외도(外圖)’가 증명하는 한국의 독도영유권
The proof of the Korea's dominium over Dokdo by Korean and Japanese old maps
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日本の外務省サイトにある<竹島問題>では、竹島(=獨島)は17世紀以降、歷史的に日本の固有領土と主張されている。しかし、17世紀以降の官製日本地図に獨島は描かれていない。江戶時代には、五つの官製日本地図が作られたが、そのうち四つまでが獨島を描かず、一つだけが描いたがそれも日本の領土外、朝鮮領土として描いた。特に伊能忠敬が1821年に完成した實測日本地図である<大日本沿海輿図全図>にも、獨島は測量對象から外されて描かれなかった。 明治時代になっても、官製日本地図からは獨島は完全に外されている。それは、1877年に明治政府が鬱陵島と獨島は日本領土ではないと結論づけたことが大きく影響している。 さらに日本側は1905年に政府の閣議決定によって、獨島を竹島と名付け島根縣に編入したと主張しているが、それ以前の1900年、当時の大韓帝國は官報によって勅令第41号を發令し、鬱陵郡を置くことと獨島を石島という名前で鬱陵郡の管轄下に置いた。韓國ではこの石島が獨島であり、日本の島根縣編入より5年も早く韓國は獨島を自國の領土として再確認していると主張してきたが、日本側は石島が獨島であるという決定的な証據がないと否定してきた。筆者はこの論爭に對し、1882年に製作された<鬱陵島外図>を使用して、石島が獨島であるという決定的な証據の提示を試みる。すなわち<鬱陵島外図>は、鬱陵島の周囲を船で回りながら檢察使の李奎遠が鬱陵島とその周囲にある島や岩礁などに一つ一つ名前を付けた地図である。その一つ一つの名前を見れば、石島という名前は出てこない。日本側が石島と見做す觀音島には、当時島項という名前があった。結局、石島は鬱陵島のすぐ近くの周囲にはないという事になる。それでは、鬱陵島の屬島と見做せて、鬱陵島のすぐ周囲にはない島とは何か。それは現在の獨島以外にはあり得ない。 筆者の<鬱陵島外図>を用いたこの新しい証明法は、獨島が韓國領土であるという決定的な証據となる可能性がある。
참고문헌 (12)
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- "<竹島問題>"
